不埒な悪魔、自己陶酔記録

街に人が多すぎる。そりゃあ休日に渋谷や新宿に行く用事があったのが悪いのだけれども。人が多いと神経をいつも以上に無駄に擦り減らしているのがよくわかる。無駄に、というところがつらい。不必要なところに意識が飛びまくっている。休日の渋谷は全方向から人が集っているせいで、多種多様な人間の展示会みたい。でもあんまりオシャレな人もいない。人間のたんぽぽハウス。半袖で過ごせるくらいの暑さなのにパラッパラッパーのアイツみたいなニット帽を被っている人がいたり、どこで買ったんだよ子供服のデカいのかよと思う服を着ている人がいたり。新宿に移動してみれば、壁画くらいぼってりとした化粧の男性がいたり、その体型でそのお召し物は辛くないですかと聞きたくなってしまう人がいたり。赤の他人のファッションが気になり始めて、気にしないようにしようと思うたびに自分の常識の外側にいる人を見つけてしまって気をおかしくしそうになる。

 

ここ数日で5つ展示を見た。どれも小規模のものだったので、隙間の時間でサクッと見られた。アート作品を見ている時間はかなり好きだ。消費の中でもずば抜けて自分が離れている感覚がある。お笑いを見ても、映画を観ても、テレビラジオ配信ライブを見ても、関連する事柄を考え始めたり自分に当てはまる部分を思ったりして自分がうるさい。音楽を聴くことはあまりにも自由なため、やはり私自身が走り回ってしまう。美術はいい具合に実体が必要なのに私がいなくなって見られるから楽しい。共感をされたいわけでもなければ全てを否定しているわけでもなく、ただなんとなくの感覚としてそんな気がする。アートに関して自分は何も意見がないというのも大きい。chim pomはあまり好ましいと思わない、とかはあるけれど。

 

最近の生活のテーマは私がいる/いないが中心になってきている。いてもいなくてもいいのだけれど、それがどう作用するかとかいないときにどうなっているのかとか、答えがないなりに考えてみている。ないなり寿司。少し前に、文章を書くのが好きな友人と久々にLINEをしたら思いもよらないことを言われた。書くことを「記録」として楽しんでいるかという話になり、私は書いている瞬間が一番楽しいので、読み返すことに重きは置いていないと話す。そこから自分たちが書いていることは誰の意見か、という話になった。私は私が好き故に、広く私がいてほしくて、あれも私だしこれも私だと思っている。それを編集と表すのだろうか。一方で友人は、書いているのは全部自分ではないと言っていた。つまり、全てを物語として捉えているという。

「雨が降ってきた、頭皮に垂れた雨粒が冷たかった」

これが私の言葉ではなく、物語の主人公の言葉となるのだと。私はそんな経験がなかったのでとても驚いた。ちなみにTwitterは?と聞いたら、Twitterもあんまり自分じゃないかもと言っていた。じゃあ一体君はどこにいるの。でもそうか、これが私ではなくなればもっと物語をつくれるのか。演劇をプレイヤー側でするのにも疲れている自分は、私が私以外でなくなることに面白さをあまり見出せていない。私が私の面積を着々と広げて、どこを切り取っても私になっているのを面白がっている。そろそろこれが変わってくる頃なのだろうかと思った。私以外になっている私もいいだろうな〜。

 

一昨日は10くらい歳の離れた男性の友人と会った。昨日は幼馴染の親友と会った。どちらも楽しかったけれど、内臓がサ終に差し掛かっていて2日ともお話にならない腹痛ゲボリーヌだったのは嫌だった。安心してください、はいてませんよ。

大した事件とかはなかったけれど、少し怖かったことがある。元来私は他人からどう思われているかが本当にどうでも良いのだが、流石に身近な人や友達がどう思っているかは興味がある。一昨日会った方の友人と会話をしていたとき、突然

「案外(私)は普通の(実年齢)歳の女の子だよね」

と言われた。自分は実年齢らしいと言われたことが本当にないので、最初はすごく嬉しかった。ありがとうと言った。そんなふうに見えることがあるのだろうか。私は仕事以外の時間に自分の年齢も性別も忘れていることが多いのですごく驚いた。(実年齢)歳の女の子で自分のような人間を見たことがないのだが、少なくとも彼の想像する(実年齢)歳の女の子の像と私は重なっているらしい。

帰りに1人になって「女の子」の部分が引っかかった。素直に可愛いって言えなかったのかな。あの人に好かれていることには間違いないのだけれど、なんだか面白かった。私も(実年齢)歳の女の子かぁ。

翌日に会った親友には、「お前は悪魔みたいなやつだ」「人間じゃない」「いつか誰かに刺されて死ぬ」「心配してる」「お前はおかしい」みたいなことをずっと言われた。普通の(実年齢)歳の女の子でありながらいつか誰かに刺される悪魔なのかよ。私を広げすぎているのだろうか。整理整頓ができないってこういうことか。編集のしすぎか。わからないわからない。どこを切り取っても私だからさっぱりわからない。

 

親友から聞いた話で一つ大きな衝撃を受けてしまったことがあって、昨晩はジムで運動しながら不埒なことたくさん考えてしまった。運動で頭がスッキリするみたいな話はどこにいった。家に帰っても飯を食ってもテレビを見ても不埒不埒不埒で、自分が破滅しながら大勢の他人を破滅させるようなことばかり思い浮かんだ。単純に不特定多数とセックスしてぇ〜みたいな欲求だったらもう少し笑っていられるのだが、そうではない。自分が本当に興奮できることはなんだろうと考えると決まって法律に頭をぶつけるので何も笑えない。こういう侵入思考的なものは一瞬だけ受信してしまうことはあるけれど、こんなにも長居されることはなかなかなかった。このまま勝手に居候されて挙句私が出ていって、こいつの住処にされてしまうのではないかと怯えた。けれど、今朝起きたら私の寝ている間に静かに帰っていたようだし、毛布も畳んであった。私の荷物が荒らされているような気がして念のため確認したが、そもそも私が空き巣くらい部屋を荒らしているからアイツは何もしていなかった。本当に安心した。人を傷つけないで済む。私のことを大切にしてくれている人なんか絶対に傷つけてはいけない。わかっていることをわかってよかった。

 

でも全然、赤の他人の指を食みたいとかは思います。エロいですので。椅子になってくれる人が1人いればいいのにとかも思います。これさあ、パワハラだよね!ばか上忍になってしまいました。早く売れたいです。

 

透過素材の火傷痕/迷子札の帰趨

元気だけどどうしてか寂しくて、楽しくて毎日充実しているけれどときどき心に拳をそのまま突き刺したくらいの大きさの穴が開いている。だからといって何かを失うわけでもなければ、泪を流すわけでもない。ただ、気がつくと心がスースーする。スカートを履いたことがない人が初めて履いたとき。メンソレータムを鼻に塗ったとき。何も変わらない音でスースーしている。

 

煌煌と照明のついた部屋で当然のように倒れていて、4時よりも前に目が覚めたけれど

動く気にもなれなければ寝る気にもなれなくて、渋々黒く小さい四角を通じてインターネットを覗き見る。この黒い塊は手に収まるサイズ感で優れているなあ、みんなも買えばいいのに。大きな空間につながっている小さめの穴がたまたま手元にある。この穴から中に入ることはできない。私が大きすぎる。

 

怒っているのでも辟易しているのでもないはずなのに、どこか諦めたような気持ちですべてを見てしまう時間だ。感情的になっていることはないので怒っているわけではない。ルッキズムなんて難しいことは一度も申したことはないのです。自分の見た目が嫌いな訳でもコンプレックスを抱えているわけでもない。ただ、色や形に固執する世の中に疲れが溜まっているようだ。音やにおい、どう気持ちが動くのか、動かないのか、そういう話を僕としませんか。意味を見出して、それに心を揺るがされて、意味のないことを楽しむ、それなら白い箱の中でも深海や宇宙に行けるのであって、行けていないというおかしさ。おもしろさ。

 

今の私にはとても大切にしたい人が居て、しつこいくらいには大事にしたいですとか好きですとか共有している時間が楽しいですとか伝えている。しつこいだろうという自覚はあるのだが、自分がしつこい人間になってしまってもいいと思えるくらいには大切な人なので仕方ない。そんなことはいちいち言葉にするのも野暮なのかもしれないけれど、野暮でもいい。野暮じゃなくて大切にできないくらいなら野暮でも大切にしたい。

 

以前、大事にしたかった人がひとりいた。あのときはだいたいの神経や感情が死んでいたので、当時思っていたことは当てにならない。そもそも大して時間が経過していないくらい最近のことなのに記憶が曖昧だし。事実は残っているので、思い出すのは事実の部分だけと心に決めている。結論から言うとその人はよくない人だった。悪い人。尊敬のできない人。でも気が合う人だった。面白さの温度感がおなじで、実のある会話こそなかったけれどずっと連絡を取り合っていた。話している時間が痛みのない時間、オアシス、避難所。

趣味が合う人だったと書こうとしたが、今思うと私が合わせていた部分も多少ある。それくらい必死だったのは、好きだったからかとおもったけれど、心を壊してしまったことを打ち明けて頼れる人がいなかったからというのが正しい答え。藁にも縋る思いの藁。

私が悪かったのは、それを見えないように感じないようにして好きだと思うスイッチを入れていたことだ。全く好きではなかった訳ではないのかもしれないけれど、どう考えても藁に油をとぷとぷかけて、ちっぽけな火種を轟々と燃えさせた。さらに悪いことに相手の火種にも油を注いだ。すると向こうは調子に乗って火炎放射器とかを余裕で使うようになった。とっくに火傷して一生残る痕もできていたのに気付かないまま半年以上の時間を過ごした。

途中で救出に来た隣人や消防隊の声も聞こえていなかったのがきちんとした病気だ。何度もロープを投げ入れてもらったし、消火活動もしてもらった。けれど私は火事だと思っていないものだから助けを受け入れられなかった。もしかしたら火事だとは薄々気付いていたのかもしれないが、それでも燃えたままでいいやと思っていた。暖かくて楽しいとか思うようにしていたし。

そうして自らを騙しつづけた所為でどんどんと心の破壊も加速した。泣いていない日が一日もなかった。あの水分はどこから湧き出ていたのだろう。反対に今はどこに貯められているのだろう。目が毎朝パンッパンでかなり不細工だった。朝に起きられなかったから昼間に起きていたし。止まり方がわからない日もよくあった。途中から泣いていることが平常なような気がしていた。傷口を自分でえぐってみたりもした。あのときにMOROHAを聴いていたのは実質的な自傷行為。マゾもいい加減にしてくれといった具合。

最終的には消防士さんたちが法の力で救出してくれたので、どうにか焼死を避けられた。しばらくはその人間が自分の人生からいなくなったことが恐怖に感じられたけれど忘れる才能は遺憾なく発揮された。それどころか合間合間の記憶もかなり薄れてしまっていて、何がどうなっていたのかかなり不鮮明。思い出す必要もないけれど。

その人は、とにかく暇な人だった。私もとにかく暇だった。だから生活の大半をその人と浪費した。二人でよく出かけた。しばらくの街は、その人の思い出の匂いが残っていてつらかった。けれど、しばらく上書きの日々を過ごしたらすっかり匂いもしなくなった。どこが好きだったかとかはわからないから多分好きではなかったのだと思う。

その人との靄がかかった記憶は完全に忘れきることもできる。つらい記憶がセットだったから全部削除してもいいのだけれど、綺麗な夕暮れだったり、不思議な色の海だったり、夜の街の景色だったり、あのときにしか見られなかった情景は消さなくてもいいかななんて思っている。だから背景だけは保存しておいている。人物の部分はだいぶ透過されている。

 

あのときとは何もかもが変わった。心が元気になり日々が十分なくらいには充実して、お金のことで苦しむこともなく、ある程度の余裕をもって生活ができている。だから同じような過ちは繰り返さないし、何かに依存するようなこともない。かなり健全な状態になっていると思う。

だけれど、この大した年数も経っていない人生で、大切にしたかった人を一人消失させていることは紛れもない現実である。だから、今近くにいる人も、思いもよらない方向からいなくなってしまうのではないかと少し不安に思うことがたまに。それを避けるため、そして自らを律するためにも思っていることを全て声に出すようにしている。

「大切にしたいです」と声に出すからにはつまらない失敗はしない。そうでもしないと失敗をしてしまうのかと聞かれたらすぐに何かを答えられる自信がない。とにかく声に出して意識をより強固にしている。相手を喜ばせたいとかそういう類いの優しさではないことに自分がちいさいことが表れているが、ここから大きくなっていけばいいだけの話だし。

 

面白い人が好きだ。一緒にいてたのしいのはもちろんのこと、共有していない時間にもそのおもしろさが流れ込んでくることがある。これってすごいことだなぁと。アイドルになって推される存在になるとか、頭に残るメロディーを作るとか、印象的な映像で映画をつくるとか。そうやって生活の一部になっていくという美しさを見せ方の工夫なしで確立できてしまう。なんて気持ちの良い。思い返すと日々をそういう面白い人に形成してもらっていて、もし私もその存在になれていたら幸せだ。これを相互にできているならそれ以上の幸せはない。

何を言っているのだろう。気持ちの悪い文字群が結局出てきただけだった。気持ち悪い。

すべてがとんとん拍子に続いていくわけではないというのはわかっている。だからこそ今の幸せを噛みしめることと、これを続けさせていこうと意識することを大事にしたい。ずっと一緒にいてほしいは流石に恥ずかしくて面と向かって言えないけど、思っていることに変わりはない。この期に及んで恥ずかしいってなんなんだ。好きな人に好きでいてもらえる自分でいつまでもいたいね。一回寝ようかなあ。書かなくていいことを書いてすっきりしているいのちだったな。迷子札を書いても良かった。

20230429 記録

頭痛で寝て、起きて頭痛。睡眠に肉体があれば鳩尾を何度も殴ってやりたい。お前の働きをお前が全うできないとは何事。怠惰。働け馬鹿。

中ボスくらいの偏頭痛になると頭の上の方の側部が拍動している感覚がある。横になっているだけなのにドクドクしていて気持ち悪い。久々にこうなってしまったので、これは大丈夫なやつかと気になって調べてみた。ユビーという症状検索サイト?が出てきて、たくさん質問された。10段階でいくつですかとか、いつもですかとか、何回目ですか、とか。さっと終わるかと思ったらそこそこの設問数で5分以上かかる。それで最終的に考えられる病名が一覧で出てくる。

私の【頭に拍動する痛みを感じる】に関連する病気は

・偏頭痛

・かぜ症候群(上気道炎)

月経前症候群(PMS)

群発頭痛

でした

#症状検索エンジン #ユビー

という文章が出てきて「今回の結果を知らせよう」「Twitterで送る」「LINEで送る」「テキストをコピー」と書かれていた。

いつどういう状況で、考えられる限りの病気を発表しなければならないのだろう。、かなり面白かったのでスクショしてツイートしてしまった。こればかりは私の負け。

とりあえず偏頭痛で間違いないと思ったので、アルバイトまで只管に寝ることにした。ここまで体調が悪い日は決まって悪夢を見る。

 

全く興味のない相手に性行為を強いられる。終わると相手は正気になり罪悪感に苛まれた顔をしている。なぜか警察沙汰になって事情聴取を受ける。それでその記録を紙で渡され、私はそれをノートに貼っている。それも2枚(同じことが過去にもあった)

そのノートを家族に問い詰められ、動転してノートを何故か縦に3分割になるように力づくで破り、マッチで火をつけるところで起きた。

ストレスの詰め合わせみたいで笑顔になってしまうくらい。体調が悪いことでちゃんと精神が疲労していると人だなぁと安心するしゲラゲラ笑えるんだよな。

体調が悪くて寝ているときだけfanzaを開いている。正確にいうとそれ以外のときに見ようと思うことも見る時間もないのだと思う。すっかり忘れていたけれど、数年前からたまに読んでいる大好きなAVレビューブログがはてなブログだった。誰のを読んでいたんだっけ、とずっと頭を悩ませていたがようやくスッキリ。エロいとかじゃなくてシンプルに面白すぎるブログなので最高。久々に開いたらいくつか新しい記事が上がっていてどれも良かった。紹介されている作品をさらーっと見たけれど、残念ながら趣味が合うわけではないのでなんとも思わない。ブログ更新頻度が高くないところがよい。

 

それから、友達が悪趣味な小説を読んでいたのでどんな話だっただろうかと検索をした。するとその物語の漫画版を紹介している動画が引っかかった。「つまらない以外で初めて最後まで読めなかった作品」という触れ込みで、内容のエグさで気分が悪くなったという話をしている動画だった。私は性的な悪趣味よりも災害とかの方がエグいと思うのであまりわからない。でも「ノーマル」とか「正常」なんて言葉が存在するのであれば確かにそれは異常だから体が受け付けないのだろうなぁと思う。そう思うと私は好奇心の幅が広いのに加えて嫌悪が狭すぎるところがおかしいのでしょう。普通NOを出すものに対して何も思わない、ということの繰り返しでこうなっているような。虫食えって言われれば食べるし、バンジー飛べって言われたら飛ぶ。ダメにする理由もないからなぁ、くらいの意識でずーっと生きているだけ。

その漫画紹介動画のコメント欄で、私がそこそこ面白いと思っている漫画を「気持ち悪くて読めなかった」と書いている人がいて度肝を抜かれた。あれって気持ち悪かったんだ。どこか共感できる系の漫画だと捉えていた。コメントが遠回しに自分を気持ち悪いと言っているように感じて急に元気になった。誰かに気持ち悪がられたり忌み嫌われることは心の元気に直結する。多分、植物に養分も水もあえてあまりあげないようにすることで強くするみたいなこと。植物に詳しくないので知らない。

 

久々にその漫画を読み返した。性的倒錯/パラフィリアを題材としている高校生の男女が中心の話。前半はまだ笑えるけど、後半は登場人物全員が狂ってしまうし終わり方も最悪。性癖が偏ってしまっている人だけが描かれているのが滑稽で面白い。主人公の女の子が可愛くもなければ性格も良くなくて何も同情できないのもよい。やっぱり気持ち悪いと思う部分はなく、私から見るとどちらかと言えば共感の話だった。自分を嫌っている人を愛して、嫌がられていることに興奮するというのが主軸なのに、漫画だからストーリーが進むと2人の関係性ができてしまう。個人的には、そういう嗜好なら相手はできる限り何の思い入れもない人(関わりがない人)のほうがグッとくるので、関係性のアンチになってしまう。あとは登場人物の狂った性癖の人は精神的に異常をきたすような経験があってそうなってしまっている、もしくはパートナーの趣味でそうなった、という描かれ方なのも少し腑に落ちない。大体の人はそうなのかもしれないけれど、私はどちらでもなく花や海や芸術を愛するのと同等に特殊性癖も楽しんでいるだけだから、結局心の底から共感できることはない。だからこそ、その分たくさんの人に気持ち悪がられる可能性を秘めている。可能性の塊。明るい未来。

 

元気になったのでちゃんとバイトにも行った。2023年4月最後の出勤。今日が終わればまた成績のカウントがリセットされるので、もう行きさえすればそれでいいやという気楽なものだった。頭痛がほとんどなくて怖い。頭が久しぶりに正常に働いている上で見える世界。とは言ってもすりガラスの窓しか見えない。ヘッドセット、電話をかけまくっているパソコン、頭を少し上へ向けると壁とすりガラスの窓。自然な姿勢にしたときに見えるのはすりガラスの窓のみ。アルバイトの全員が壁を向いている部屋なのに、それぞれが全国とつながって会話をしている。都内の駅チカ雑居ビルから。日本全国へ。ここから?全国へ?何かの間違いではなかろうか。だって日本って結構広い。ここは結構狭い。すりガラスしか見えない。それなのに私は東京と離れた地の人と話しているし、隣の人は東北、隣の人は近畿、その隣は九州といった具合でばらけている。ここはただの箱だ。どう頑張っても説明がつかない。結局、説明がついても仕方ないということで納得させた。出勤している人のうち数人が喫煙者だからか、若干煙草のにおいがする。方南町の稽古場を思い出す。あれはもう5年くらい前になるのか。怖。おじさんばっかりだった。おばさんも全員煙草を吸っていた。空気が悪かった。大人が大人を怒っているのを見ていた。嫌だったなあ。あの頃はあまり考えていなかったけれど、そういえばあそこに居た人の大半は離婚している人だった。別に離婚することなんて珍しくない時代だけれど。離婚しているひとばっかりの、ヤニ臭い空間。できることならもう一生ああいうのはやりたくない。中年のセックスの話って面白くないうえに本気で聞いていられないし。

 

結局今月は2305件架電した。56時間。多分だけど多すぎる。ここまではやらなくていいと思う。来月はもう少し減ると思う。でも数字としてとりあえず1年生1ヶ月目にしては頑張ったと思う。事務所からの給料も振り込まれていたから、今月の総収入が確定した。大卒の初任給よりもそこそこ多いくらいだったので、全員死ねと思いながら気分が向上。誕生してこれだけの年数でこれくらいお金を得られるようになるのだとわかってよかった。安定して稼げなくても何も困らないし、そもそもお金が必要で働いているわけではないけれど、とりあえず数ヶ月はこれを継続することを目標にしたい。なんだかんだ事務所からの給料が一番多くて安心した。今月たまたまそうだっただけだろうけれど。

架電すると「オペレーター:○○○○」とフルネームで記録される。定期的に目をやっては、私っていい名前だなあと思う。信じられるのも愛せるのも自分なの、なんて生きやすいのだろう。

20290428 記録

私のかなり近くに気配を感じて、ぶつかりそうで危ない!と避けて何もいないことが頻発しているのだけれど、気づいてるから正面に来てね。

 

4時台に目覚めてしまったが、珍しく完成された覚醒だったのでそれを活かして文章を書いてみた。この咀嚼がほぼできていない文字の羅列は書くという行為の最底辺だという自覚がある。それでも書いている以外の言い方は思いつかない。縋っているだけかもしれない。1時間ちょっとで4000字くらい並んでいて、朝のスピードの速さと中身のなさがよくわかって良い時間だった。タイピングゲームをしているのと変わらないくらい、何のひねりもない言葉たちではあるが、アルバイトの作業とは別のことを早朝からすることが久しくなかったので楽しい。全部書き終わって満足してまた1時間くらい寝たし。起きて読み返してきちんと変なところを直して投稿してみる。誰に向けて書いているわけでもないのだから、間違っていようが駄目なことを書いていようがどうでもいいのに。ダサさだけは許せないので時間をおいて読み返している。文章を書き終わってから数時間は自分の書いたものが全く入ってこない。少し忘れてきたくらいのころに小さな新鮮を抱えて読む。読むのは何も楽しくない。だからchatGPTが出力したものを読む時間もあんまり好きじゃないのよね。私が書いているのが好きなのに。一番向いていないだろう下唇。代われって思う。我が家。

 

朝からサウナに行ってたっぷり2時間堪能した。今日は空が青く、これまで2回経験した中ではいちばんの眺め。初回は雨で前回は曇りなので当然。都内のサウナなので電車の音と工事の音が鳴り響いているのだが、そこまでうるさくはなく、むしろ環境音として心地よい。ずっとあそこは工事をしていてほしい。最悪なにも作らなくていいから、重機だけ適当に動かしていてくれ。むかし母が、空の青が子供の頃より薄くなったように思えると言っていたことが頭に残っている。なんとなく、昭和の空のイメージは群青色の一色で染まっている。でも今の空って勿忘草色くらいの薄さに感じる。色名で調べてみてほしい。色単体の画像がだんだん空に見えてくるから。今の薄さの空でも十分迫力はある。空の青さはいつも自分に元気と不安を与えてくれる。ふと見上げたときこれがもっともっと濃い青だったらと考えると不安が倍増する。今くらいでも私はいいよ。これぐらいの感じでいつまでもいたいよね。

 

炭治郎を見て、うかうかしていられないとジムに行った。強くならないと、いつ鬼に襲われるかわからない。何事も強くなければその時点で終わりだ。死んだらリセット。そう思うときちんと強くなっておかないといけないなと感じる。4月に入り予定が立て込んだり頭痛が酷かったりで行ける日数が減っていたので、バイト前に久々に行ってみた。

私の通うジムは男性が8割以上でおじさんも多いので、空間がかなり男汗臭い。それが好きだったりもする。2週間以上ぶりだったが行ってちょっと元気が出た。ありえないくらいイキりながらサンドバッグに全力で殴りかかっている下手くそなおじさんも見られる。絶対見ない方がいいのに。早朝のバイト時間同様ジムにいるときもネットから離れ自分の好みでもない音楽が流れる環境なので、頭がそこそこ働いている。「人生にキャプションはいらない」と思った。意味がありそうだったけれど意味まではわからなかった。

 

明日まで頑張れば今月のテレアポが全て終了。行く前はやはり億劫なのだが、きちんと行って自分を褒めるくらいしかできない。行けば割とすぐ終わるししんどさもなくなる。話すことが得意、メンタルが強いという二大適正があると思っていたのだが、今日新たに自分の向いている理由がわかった。対人関係でストレスが発生しそうなときは常に「結果的に自分が優位に立っている」と思える行動を取るようにしている。例えば、友人は絶対に寿司を食べたい、私は絶対にパスタを食べたいという状況のとき。自分が折れて相手の意見を通してしまうと自分の負けのように思える。ただ、もう少し引いて考えると「譲ってあげることもできる精神の余裕があり優位な立場から相手に寄り添ってあげている」とも捉えられると思っている。これを応用しまくって、常に精神にある程度のゆとりを作る生活。だから人を憎むことがほぼないし、面倒な人に会っても「はいはい。それは大変ねぇ。」と冷めた保母メンタルでいられる。これがまぁテレアポにもぴったりの考えで。性悪ババアみたいな人にキレられても「この人は見知らぬ他人にも感情を爆発させてしまう、コントロールのきかない可哀想な人なんだ。可哀想に。私の心の広さで受け止めたいところだが時間がないの。ご自愛ください」みたいな気持ちでいられる。もちろん別支部にいる私は死ねと思っているのだが、本部は落ち着いている。こういうのは人に話して共感してもらえるものではないので、こうやってこそこそ文字にして自分で改めて理解できれば十分。

そういえば今日は「公共☆放送の料金を払いたくないのです」という人がいた。払わなければいいのでは、と思ったが「でも払わなきゃですよね」と言っていてあんまり意味がわからなかった。私から具体的な方法を提案するのは仕事と違うし間違っていると思うので「払っていない人もいると思いますね、調れば出てくると思います」とだけ伝えて切った。その後気になって検索したら某党が作っているサイトがトップに出てきた。何と書いてあるのか気になったので開いてみたら、想像を遙かに上回るわかりやすくまとまったサイトで面白かった。党の色?の黄色と水色がベースなのに見づらくなくて、むしろかなりのハイセンス。ポップかつ情報が端的にまとまっている。無駄がなくてきれいでおもしろい。だからどうなる、とかはないけれど、よくできているんだなぁと知ることができた。払いたくないという話をしてきたおばさんありがとう。

今夜は家でいちごを食べるからそれまで必死にと思って頑張ったけれど、頭が痛くて食べる前に死んだ。いちごの命拾い。

20230427 記録

海賊団とはいうけれど、海賊自体が集団っぽいから、集団のさらに集合ってことかなぁ。暴走族は暴走族団とは言わないもんね。おかしいなぁ、と頭で考えていたけれど文字で見れば一発でわかる。こういうアホな考えは無の作業をしているときにしか出てこないので大事にしたい。インターネットを片手に持ってしまったら海賊が集団でないことなんて何ら不思議ではないだろうに。音で考えすぎている。でももし叶うなら全部音になってもいい。全部が音になったら、美しいものはもっと美しくなるかな。汚いものはもっと汚くなるかな。あらゆる物差しが変わって面白いだろうなぁ。みんなの美しさが壊れるところに興味があるのかもしれない。

 

そこまで暑いとは思わなかったのにポロシャツらしきものを着ている若い女性がいて、すれ違いざまにちらりと視線をやった。ヴィヴィアンのシャツだった。ユーズドなのか知らないけれどエグいくらい皺が入っているし色がくたびれた白だし、それがおしゃれに働いているわけでも似合っているわけでもなくて、すごーく気になってしまった。良いか悪いかはわからないものとした上で街ゆく人の服が気になって仕方ない。かと思えば仕事で会う人や友達の服は見落としてしまうこともあるので、ただ他人の服に興味があるのとも少し違うようだ。

その15分後くらいには母に連れられたアクエリアスを持った半袖兄弟ともすれ違った。これは、ただ夏に行っていただけだった。私はシャツにアウターを羽織っていたので、向こうからしたら奇妙だったかもしれない。申し訳ないな。

 

興味のあった展示が今週いっぱいで終わってしまうというので、どうにか行ってみることにした。ギャラリーが西麻布にあるというから、立地を調べたら、表参道駅からも乃木坂駅からも外苑前駅からも六本木駅からも十数分かかるようで、だったら麻布なんかじゃなくて初台駅徒歩2分とかにしてくれと思った。的を射ていないにもほどがあるのだろうけれど、まぁそう思った。どの駅も自宅からの不便さは変わらないので、慣れている上に霊園の脇道を通るルートになる乃木坂駅から行くことにした。どう考えても霊園の脇を通る道に勝るものはない。

 

港区なんて気取った地域も、青山霊園を見るとなーんだたいしたことないじゃんと思う。多磨霊園の横を通っているときと大した変わりはない。土と草の匂い。それに加えて20mごとに変な匂いがしたので、多磨霊園よりもよくない。港区はたいしたことない。

霊園の沿道には40台ぐらいタクシーが停車していた。あのあたりはタクシーが溜まりまくっていて、すぐ近くの六本木トンネルを通るときもいつだってタクシーが沢山停まっている。それも、客を待つというよりは完全なる休憩。私は大きな道路の右側の歩道を歩いていたため、ちょうど停止しているタクシーのフロントガラスが次々と見えた。ガラス越しに、運転手のおじさんが昼ご飯をたべるなり、携帯を見るなり、仮眠を取るなり、しているのを見ることができる。シートを最大まで倒している人もいるし、コンビニの麺を食べている人もいるし、変な体勢でリラックスしている人もいるし、休憩時間だけを切り取って次々と見られるのが面白い。何かに似ているなぁと思ったけれどトモダチコレクションだ。マンションの窓からそれぞれ個人が何をして過ごしているのかのぞき見できる。あくまで個の空間で過ごしているというのが重要で、それを一方的に見ることができるのは本当に楽しい。動物園の動物はきっと見られているという意識が少しはあると思う。だから、これくらい見られている意識がない対象を見つめるという機会はない。のぞき部屋に一度行ってみたいと思っているが、のぞき部屋(のぞかれ部屋側)の人も見られている意識はあるわけで、ホンモノの見られる意識のない人を見られるというチャンスは滅多に、全くと言っていいほどないのではないだろうか。こういうのを突き詰めると盗聴とか盗撮になってしまうのだろうな。やめよやめよ。

 

目当てのギャラリーはかなり老朽化した建物の4階で、1階から2階へあがる階段の前を通っただけでかなり不安になるくらいの朽ち具合だった。エレベーターも思いつく限り今あるいちばん古いタイプのやつ。ドアに挟まれようものなら自動で開くという生ぬるい優しさなどなく、容赦なく重すぎる力で押し潰される。ボタンもしっかりと押す感覚があるやつ。「プッシュ」という感じがする。押すとオレンジ系の色に光る。光るというほどは光っていない。前に不安になるエレベーターに乗ったのも馬喰町のあたりの古い画廊だった。不安エレベーターは芸術の入り口なのか。

個展に関しては別に特筆することはない。見たかった人の絵を見たという事実しかなくて、そこに特別な感情はない。得体も知れない展示に行くときの発見はもちろん楽しいが、そうではないときの確認のような時間も嫌いではない。だからわざわざ変な道を歩いてきているわけだし。最近はアーティスト本人ではなく画廊の人と雑談をすることができるようになってきた。と言っても、どれくらいの会期で展示が変わっているのかを尋ねるとかだけれど。それで大体の周期を知ってまた来てみますと言ってみる。それくらいでも、無言で帰るよりは心地いい。

帰りはバスに乗ってみた。港区のバスは普通のバスだ。なんであんなにも特別視されているんだ。たいしたことないのに。降車して歩いていたら、小学生とすれ違った。港区の小学生も私が使っていたのと同じ形、同じようなデザインの絵の具セットを肩からななめがけしている。ちょっとあんしんするね。

鬼滅の刃をはじめてみた。なぜか3期のアニメからみた。夕方から夜にかけて全11話見切った。合間に大量のホットケーキと大量のピザを食べた。不健康保育園みたいでよかった、保育園児ももちろんいた。

20230426 記録

日々さまざまな単語、文、話が頭のなかでぽこぽこと生まれて浮遊しているから、見つけ次第なんと書かれているのかだけ確認するようにしている。それでいて、少しでも変だったら「それ、本当にあなたのことばですか?」とポップアップが出てくる。私が思ったことのなかに、たまに私が思っていないことが紛れているから。それを見極めるために学習して自動的に表示されるようになった。精度は高くないので、上手に私の言葉のふりをしている私が思っていないことは、きっとすり抜けていってしまっている。でもそのときはもう私の言葉のような気もする。明らかに思っていないことを思っているのを検出できたときは、どうぶつの森で珍しい魚を釣り上げたときのような気持ちよさ。犬に四肢を食い殺されたいなぁ、とかは思っていないから「ぴこん♪」ときこえてくる。

 

朝のバイト中、私が運んでいる台車と壁の狭い隙間を誰かが通る。どうしてわざわざこんなところを通るんだと驚き、事故を避けるために身体が動く。ぱっと振り返ると誰もいなくて、無駄に心臓に負荷をかけたなぁと思う。事故がよぎったから鼓動はやくなっていた。あまりにも自分の真横を勢いよく通った感触があるものだから、少し苛立ってしまった。

こういうことはすごい頻度である。足をひっぱられたような気がして転びそうになるとか、生き物が通った気がして全身の筋肉が収縮するとか。驚くことが嫌で予防線を張りすぎて結果的にもっと負担になっているのかなぁ。猫だったら毛がだいぶ逆立っているくらいの緊張。生き物が通ったと思ってしまうのはたぶんほか二つとは異なる問題だけど。生物に対して、だいぶ落ち着いてきたものの恐怖心と警戒心が強いので仕方ない。一時は一切の動物を直視できなかったけれど、今はへっちゃらだ。ハシビロコウが餌を食べようとするも下手くそで食べられない動画も見られる。



キスしたいけど口内炎ができていて舌を火傷しているし、セックスしたいけど膣炎だ。「それ、本当にあなたのことばですか?」「はい」

したくないから身体がこうなっているのか。シンプルに身体の抵抗力が弱すぎる。抵抗力がすべて精神のほうにきてしまっている。もう少しでいいから体機能のほうに分けてやってくれ。精神性のほうの抵抗力は十分すぎるんだ、バランスっていうものがわからないのだろうか。最低スタートからの連想だが、「夢で好きな人に出会えたら向こうから想われている」と考えられていたという話を聞いたことを思い出した。たしか和歌かなにかを授業で読んだときだった。私は、普段から意識的に行為を寄せている相手のことを夢にまでみるのだと捉えていたから、逆の考え方だったので面白いと感じた。そう思うと、身体がこうだからしたくなってしまっているのだとも考えられるが、なんか全部嘘なような気もしてきた。全部嘘だと思う。全部って言うのは、全部の全部で。

 

最近ずっと頭が痛いけれど、頭が痛いことが私といってもいいくらいなので、今さら憂うことはない。ただたくさん寝たり、薬を飲んでいないのに飲んだと思い込んだりすることで日々を乗り切ればいいだけだから。薬を飲んでいないのに飲んだと思い込むことのいいことは、薬を消費しないので薬がなくならないこと。薬がなくならないと薬を買いに行かなくていいし、そもそもいつも気持ちの悪い安い鎮痛剤ばかり買っているからあんなのは飲まない方がいいに決まっている。最近、その鎮痛剤のDXという、何かしらの成分が最大量配合されたバージョンも飲んでみた。すごくすごくケミカルで、通常版よりもヤバい味がする。中野ブロードウェイの2階みたいな味がする。父親にそれを言ったらお前は中野ブロードウェイを食ったことがあるのかと聞かれたが、飲ませたらたしかにわかると言ってくれた。あれはやばい。癖になるとかではなくてシンプルに気持ち悪い味。水で流し込んでいてもしばらく口の中が変な味になる。めちゃくちゃ嫌というわけではないけれど、最近鎮痛剤を避けているのはやはりあの味がキモすぎるからだろう。父はラムネのようにいつも鎮痛剤を飲んでいるし、若い頃からずっと頭が痛くてずっとそうしているらしいので、私は控えようという気持ちでいる。酒も煙草もいっさいしないのに鎮痛剤だけめちゃくちゃやっている父。いちばんアウトな響き。ちゃんと容量用法は守っていますけどね。

 

バイトに行った後にバイトに行く日は、嫌な気持ちになりそうだが案外そうでもない。働いている状態が好きだからかな。ちょっとは人や社会の役に立っているのかなぁと思えるし、稼いでいることが時間の経過とともに感じられるのでよい。今日はテレアポで厄介おばさんにブチギレられた。先週時点で25,26日あたりの20時にまた電話してくださいと言われたので、またそのあたりで連絡しますと答えていた。25は定休日だから今日かけた。そうしたら、「昨日と言ったからずっと待っていたのにかけてこなかった」とずっと怒っていて、怒っているひとの話し方だなあと思った。加害の意志をしっかりと感じられてよかった。頑張って私を傷つけにきているのだなあと思うと微笑ましかった。それらしい声色で謝った。契約が取れそうな人を逃したのは惜しかったけれど、別に他にも人はごまんと(本当は数千人)いるから、全く落ち込むことはなかった。そもそも、その数千人に断られて一人も相手にしてくれなくても別に落ち込むことはない。あくまでも××代理店 株式会社○○の人間Aとして話を聞いてもらえなかっただけで、そこに私はいない。こういう幽体離脱みたいな、私が居たり抜けたり留守だったり半分顔を出したり、ができるから便利。きっとこのせいで起きる障害もあるのだろうけれど。私なんていたりいなかったりくらいがちょうどいいと思うし。

20230425 記録

朝、通勤ラッシュの時間帯。中野駅前の喫煙所が中央線と同じ人口密度なのだけれど、あそこまでが中央線ってことだろうか。分園、みたいな、分煙ってことか。

週に一度のお手伝い仕事。最初はAIをいじくるという内容だと聞いていたが、先週は雑務とランチの席取りだった。今週は行くやいなや「今日は授業をやってみませんか」と言われる。新学期が始まり、新一年生が入学してきた。総合的な学習でSDGsの単元があるのでその問題の解説をやってほしいとのことだった。断ることもできたようだが、時間があったのとこの年齢で高校1年生に授業をできるという機会が面白かったので引き受けることにした。

そこから、その日に扱う問題と資料を見て準備をするわけだが、まさか自分が授業準備をすることになるとは思っていなかったのでとても不思議な気持ち。本来の仕事にはあまり関係のないことだが、事実として学歴は優れていないし、未だに自分の同年代は教育を受ける身分だというのに平日の昼間から授業をする。ヘンテコ。

用語を検索したり、記述問題の解答例を考えたり、事実の確認をしたり、どこを手厚く話すか、どこを飛ばすか、とかを考えた。相変わらず指示を私に出す先生はふんわりとした人なので、何分以内とかのルールを設けてくれない。あなたの好きな長さ、好きなことを話せばいいよ、とだけ言われた。そんなこと言われてもなあ。

授業と言っても生徒数は1桁で、かなりミニマムな教室。ただそれ故の緊張感もある。広い場所や大人数の前は慣れているのでなにも考えなくてよいが、ひとりひとりの顔がよく見える、どこを切り取っても自分にだけ注目がいく空間というのは珍しい。

いざ対面してみると、全員物静かな、声を発さない、控えめで真面目そうな子の集団だった。私がいたときはギャルとかアイドルとか髪色がすごい子とかハーフの身長高い子とか、かなりばらばらでどちらかというと派手な子が多かったので新鮮。本来こういう学校は目の前にいる人たちのような子が来るところなのだった。

授業(提出する課題を一緒に解きながら解説する、というのが正しい)をはじめてみると、本当に私しか喋らなくて、誰もうんともすんとも言わなくて驚いた。私は人に相づちを打ったり、聞いていますというポーズを無意識に全力で取ってしまうのだが、そのせいか学生のとき先生とよく目が合っていた。あまり気にしてはいなかったけれど、こうして反対側から見ると私のような人は珍しかったのかもしれない。教員はよくこんな一方通行に耐えながら毎日毎日仕事をしているなぁと思った。もちろん授業の形式にもよるし、今回がその最たる例だっただろうが、あながち間違ってはいないだろう。中学はほとんど行けなくて入学してきた子もいると聞いてしまっていたので、指名してどうにか会話するとかはよした。わざと挑戦しても良いのだろうけれど、それは私の仕事ではないと判断した。正しいかどうかは全部わからない。だってはじめてだし。

記述式の問題を解いている間は解説をやめ各自で集中してもらったのだが、これまた難しい。それぞれがどの作業をしているのかがよく見えないし、全員がスローペースななかでも個人差がある。これが終わった人は次のここを読んでください、とかこの問題に移ってください、とか言うけれど特にレスポンスはない。話を聞いていないようには見えなかったから、きっとそれぞれで進めてはいたのだろうけれど。全員の席まで確認しに行くかも悩んだが、なんとなく作業中を見られるのは嫌だろうな、それも私に、と感じてこれまたやめておいた。今思い返すと考えすぎだなぁとはわかる。考えすぎてよいことも悪いこともある。

結局全員が課題の最終問題まで終わったであろうタイミングで私の時間はおしまいとした。だめだったところもよかったところもなかった気がする。何か意味は見出せただろうか。少なくとも私は色々と考えるきっかけにはなった。今回のような課題をこなすことが私は楽しかった。特に記述や自らの意見をまとめて書く問題が好きだった。何文字以内でこれについて、みたいな文章を書くことはあまりないので、わくわくしながらやっていた記憶がある。けれどどうだろう。私の目の前にいた人たちが課題に取り組んでいる時間で楽しそうだと思うことはなかった。そうか、文章を書くことって楽しくないか。苦痛な人もいるか。可能な限り避けたい人もいるか。文章生成AIの発達ってそういうことか?どちらがマジョリティとかは重要ではなく、自分の当然がまたひとつ破壊された。教えることで教わることがあるとはありきたりな話だが、私に気づきを与えてくれた先生はやはり優れた人なのかもなぁと思う。

 

昼ごはんに連れて行ってもらうことになる。私は外食をほぼしないのに加えて、食べるものの幅が狭いので食べたことのないものが多い。いくつか近くで行ける店を聞いたところ、選択肢にラーメン屋さんがあった。私は人生でラーメン屋さんに行ったことが2回くらいしかない。もしかしたらもう少しあるのかもしれないけれど、記憶にないし多分ない、中華屋さんでミニラーメンとかは食べたことがあるような気はする。いわゆるカウンターで、ラーメンだけを出している、みたいな店に行ったことがないのだ。ここ5年は絶対にない。これに理由はない。嫌いだからでもダイエットでラーメンを控えているから、でもない。それらしい理由は何も思い浮かばない。単純に食べようという機会がなかっただけの話だ。それを伝えたところたいそう珍しがられてしまったため、ラーメンを食べに行くことにした。原宿の山頭火

チャーシュー麺のしおにした。しおがおすすめと書いてあったので。昼時だからというのはわかるが満席で驚いた。厨房が丸見えの特等席に座って、店員の作業をぼうっと眺める。ハイパーマルチタスクで、自分には絶対無理だろうなぁ、麺はゆで続けられ、チャーシュー麺と普通のラーメンとを出し間違えるだろうなぁ、しおか醤油かですら間違えるだろうなぁ、とかがぐるぐる巡っていた。それでいてすぐ提供してもらえたから、私の死角にもう何人かいるのだろうかと思う。

先生に観光客みたいですみませんと断りを入れてから記念に写真を撮った。いざ食べてみたらめちゃくちゃおいしくて面白かった。それから夢中で、静かに黙々と食べ、どうしてこれを食べてこなかったのだろうと真剣に考えることにした。

まず第一に、麺を啜れない。あの、ズルズルってやつ。できない。吸う能力がないのか、口をすぼめる能力がないのか。吸うのは得意な筈ですが...とにかく啜れない。

それから、熱々の食べ物を食べるのがへた。普通に序盤で舌をやけどした。痛い。ヒリヒリする。その原因は「早く食べないと」という焦りだったと思う。

ようやく思い出してきたのだが、幼い頃食事のスピードが遅かった私は、麺をだるっだるに伸ばしてしまっていた。ラーメンは増え続けて一生食べ終わらない食べ物だと思っていた。それでいて、ラーメン屋は長居できない場所だという印象があったから、自分には無理だという判断をしていたのだろう。かなり腑に落ちる。後付けで「ラーメンがそこまで好きじゃないからわざわざ行かない」という理由にしていたがおそらくこれが正解。導き出せて気持ちいい。そう思った頃には麺を啜るのが少しできるようになっていて、これって能力ではなくて経験値の問題か、と気付いた。うーん、違う気もする。そもそもの能力値は低いのだろうけれど経験さえ積めば習得できるように思えた。修行をしようか。先生がとろ肉チャーシューとかいう私のとは違う肉を何切れかくれて、それも全部食べた。あとスープも全部飲み干した。寒かったし。ごちそうになるし。男らしい食いっぷりですねと言われて、まあ笑とだけ返した。

食べ終わったところも撮ったらどうですかと提案され、そんなこと一切考えていなかったのでハッとして反射で撮影した。きれいな空のどんぶり。ひとりでいたらこういうことはしなかっただろうから、やっぱり人といるのは大事だと思った。そこから何度も先生に感謝を伝えたので、先生もたかがラーメンくらいでこんなに喜ばれるなんてと少し困惑していた。

 

学校に戻ってから数時間、動画生成AIをいじくって新しい利用方法を心得た。今後の私の仕事まで確認しておしまい。結局6時間以上そこにいた、午後は集中している時間が長かったのでそれほど経っていたとは感じなかった。面白い上に給料をもらえているので、今後も実りある仕事の時間にしていきたい。

 

渋谷まで歩いて行くと合間に神宮通公園がある。今日は寒いから路上生活の方がいたら大変だろうなぁと思って通りがかると案の定分厚い毛布にくるまっていた。私は何を信じていたのか素足にショートパンツで出かけていたので、毛布にくるまりたいなぁとだけ思った。

ダサい顔でダサい服を着ている人がいくつもいる。ファッションなのだから誰しもが好きな服を好きに着るべきだとは思うが、虚勢を張って全く似合ってもいない髪色格好で、かっこつけながら歩いている人を見ると恥ずかしくなってしまう。こっちが勝手にそう思っているだけだから、向こうは自覚するまで幸せに暮らしてほしい。

 

帰宅してイヤホンを外した瞬間、悪魔が耳から抜けていく感覚があった。その情景も客観ではあったが見えた。でも私の目には悪魔は映らないのでそれから先は普通に生活した。何も問題はなかった。ピルを飲み忘れてから半年くらい経っている。たった一文で自分の駄目さが集約されていて、名刺があったら名前の脇に記しておきたい。

 

先生から今後記事の執筆の仕事も引き受けた。書くのはいくらでもできるので大丈夫ですと答えたら、でもあなたブログはそんなに更新していないでしょうと言われた。連載している記事と自分のブログとは別で匿名で文章をあげたり、考えを記録したりすることは毎日やっているので大丈夫です。息抜きで文章を書いていますと答えた。息抜きで文章を書いているのか。