私も私以外もいる

常温のカルピスウォーターの作り方

1.5Lペットボトルのカルピスウォーターを買ってきて、コップに注ぐことなく直接飲む。キャップを閉めてテーブルの上に置いておく。完成。(なお、1.5Lである必要はなく、コップに注いでもいい。1.5Lを常温にするほうが自分のダメさが浮き彫りになって気味良い)

 

締め切りを伸ばしてもらった原稿と、今週締め切りの原稿と、来週締め切りの原稿と、私用で書かなければならない文章が2つある。だから、だからブログを書いている。私が間違っていたことはない。

 

常春さーん。2音目が「こ」の単語の魅力語ろう座談会で「彦根」は当たり前すぎるという理由で暴力を生む。当然のこと。どこにだって最低限のルールがある。弁えなければ進められない。偶然2学期制で育った人だけで構成された「ザ・あきやすみバンド」の出勤担当。見てられないと思うことが増えたときに減るのは見てられると思うことではなく愛のスコールとかじゃないのと教えてくれたクラスメイト。公明党のポスターが貼られている場所を幾つも教えてくれたクラスメイト。こういういなかったクラスメイトを30人集めて作ったなかったクラスにいなかった私を、燭台に立たせる。撫でて撫でて、ずっと撫でてなくなる。

 

初めてコロナに罹ったのでファーストガンダムでもエヴァンゲリオンでも全部見るつもりだったけれど、こたけ正義感の逆転裁判7-11HASAMI groupの歴史の動画しか見られなかった。こたけ正義感の逆転裁判1-6は既に見ていたので。あとは全部寝ていたというか、寝ていたつもりもないから、なかったのだと思う。なかったので当然何も考えてない。こういう期間に考えを発展させるのかと思っていたし、まとまった時間があったら〇〇したいのチャンスだと思っていたけれど、そもそもまとまった時間ではないので違った。まとまった時間は本当に全部が終わらないとない。全部の中には洗濯や戦争や修理なども含まれる。

 

例の歴史の動画はすごく良くて、全然泣いた。私が感受性の冒険団であることはさておき、何がいいのかなと考えると郷愁とか望郷とかの単語が思い浮かぶ。そんなものは別に歴史の動画を見なくてもある程度わかっていたのだけれど。郷愁と入力したときに出力される「異郷のさびしさから故郷に寄せる思い」「ノスタルジー」ああ、そうです、そうですわ。そうだから、ウルセェと思ってしまう。栃木・宇都宮に行ったことない。でも栃木・宇都宮は自分の思い描く「故郷」の像にかなりピッタリで、東京はやっぱりさびしい異郷のキャラにうってつけ。

主人公の親友の眼鏡っ娘は性格がめちゃくちゃいいし、最初にツンツンしていて厳しいプリキュアはのちのちポンコツが露呈する。それくらい「そうだよなぁ」だった。

 

私の話は私のブログですればいいのだからこんなところに書く必要はないけれど、個人情報は私と結びつけるわけにいかないからここに記す。

自分は生まれてからずっと東京の不便しない同じところに住んでいて、まぁもう少ししたら出ていこうとは思っているけれど実家にいる。幼い頃から遊ぶ時は吉祥寺・高円寺・中野・新宿・原宿・渋谷。博物館や美術館に上野に行って、銀座とか日本橋とかも行く。秋葉原に買い物に行くこともある。東京が故郷だなんて嘘みたいだけれど、それ以外に故郷がない。

中学高校の帰りに寄った思い出の場所なんて、吉祥寺パルコと吉祥寺マルイと吉祥寺アトレと井の頭公園。ノーノスタルジア。好き好んで時間を溶かした場所の大抵は後付けのサブカルチャーみたいな街だ。

 

「街」と入る好きな曲がいくつかある。それこそHASAMI groupなら「君の街は」だし、DIALUCKの「あの街まで」、ceroの「街の報せ」、唾奇の「街から街」ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「君の街まで」とかね。

町よりも街の方が馴染みがあるからかもしれない。でも音楽のなかの「あの街」とか「君の街」ってやっぱり吉祥寺とか高円寺とかじゃないと思う。西荻窪でも東中野でもない。もっと暮らしがあったり、物悲しさがあったりする。遠さを感じたり、伽藍とした印象を受けたり、海や山が見えたりする。風の香りがする。

私はそんな「あの街」のデータが、想像でしかない。もしかしたら本当はそんな場所ないのかもしれないし、音楽に乗らないといけない場所なのかもしれない。でも絵みたいな故郷はない。ない郷愁。

MOROHAの『遠郷タワー』を聴くと思う、「長野、ちょうどいい故郷だなー」って。本当に失礼なんだけど。栃木とか長野から東京に来るのはなんだか「上京」って感じがするし、思いを馳せる距離がしっくりくる。

 

私が40歳になっても、60歳になっても、学生時代の思い出の場所は井の頭公園だし中野ブロードウェイだし高円寺pal商店街だし吉祥寺パルコだ。こいつのノスタルジーには無理があるんじゃないかと最近思っていた。限界というか嘘に近い。

 

この物悲しさって栃木なんだなぁ、と歴史の動画をみてぼんやり思ったけれど、栃木を知らない。だから栃木のせいにもしきれなくて、青木龍一郎の書いた記事を何となく読んだ。ある記事に地理のことが書かれていた。上京してから4年間は多摩地方に住んでいたこと。多摩川を歌っている曲の多摩川は稲田堤のあたりのことだということ。

 

すごくスッキリした。東京の中でも物悲しさは味わえる。稲城市に住んでいた同級生の家に中学生の頃行ったことが今でも忘れられない。本当に、本当に何もなかった。自然が豊かとかでもない。本当に何もないのだ。あの悲しさ。思い返すと川崎のあたりで東京都と神奈川県の境をフラフラした日の哀しさとか、綱島のあたりの夕暮れの寂しさとか、やっぱり大きな川沿いはちょっと物悲しい。稲田堤に行きたい。

故郷、異郷問題はもうどうにも解決できない。どうせ今後暮らすのは渋谷区とか目黒区とか、嫌だけど港区とかになってしまうのだから。稲田堤だ。昔知人の美容師のサロンのために行ったことがある。稲田堤。もっとあのあたりを掘ろう。

 

街。街を知りたい。私のイメージの街があるのか、見つけ出すまで街を見て回る。一つ夢というかコツコツ進められる目標ができた。

 

いい加減作業しようと思ったらやばい咳が止まらなくなってしまった。あと引く風邪のような、タチの悪い街に浸りたい。ジブリみたいとは到底言えなくて、映画みたいでもなくて、それなのに心がザワザワする街。ゲフォッゲファッゲフォッ。尺八みたいな咳。