20230424 記録

リプライで「笑笑」だけ記して投稿できる人が長生きできるのだろうなぁ。その世界なら早く死んだ方がマシなのかもしれない。

本当にやばいのは街中で叫んでいる人。ではなくて、赤の他人が書いたヤフコメに返信している人、そこにさらに返信をし、返信をし、返信をし、返信をしている人。あの行列が恐ろしいのに、たまに▼さらに返信を読む みたいなのを押してしまうね。

 

朝から中高生が何十万何百万もホストやメン地下に貢いでいる問題のニュース記事を読んだ。そもそもイケメンに一切の興味がないから機会がないのだが、こういうのを見てしまうと一度はメン地下やホストに行ってみたいなぁと思う。メンズコンカフェなるものもあるよう。そういう店で働いている男性の顔面のレベルがどんなものなのかも知りたい。どれくらいやる気があるのか、どれくらい手を抜いているのか、どれくらい荒稼ぎしているのか、自分の目で確かめないとわからないから。絶対的にハマらないとは思うのだが、この世に絶対はないから万が一私が知らない男にお金をつぎこむようになったらそのときは殺してほしい。あと仕事がうまくいって仕方のないお金の使い方をしはじめた時も殺してほしい。友達の仲の良い人(私も面識はある)が最近大きなお金を手にしてしまい、絵に描いたような成金みたいで恥ずかしいという話を聞いた。どうしようにもないのだろうけれど、こういうのは寂しいね。変わらないことが無理なのはわかっているのに。

それにしても10代なかばくらいで何十万も自由に使えるお金があるのは本当にすごいし、きっと感覚がおかしくなってしまうのだろうなと思う。そこそこお金のない家で育ったから、あまりそういう人たちの生き方が想像できない。トー横とかで遊びたくなる気持ちもわからない。貧乏は時には苦しめられるけれど自分を強くしてくれる重要な要素でもあった気がするので、特に憂うことはないと思っている。お金のことで悩んだこともない、そもそもお金について考えたことすらない、みたいな同世代に出会う度に自分は考える機会と脳があるんだと納得に落とし込むことができていた。嫉妬がないところが私の良いところだと思う。人をうらやむことはもちろん多少あるが、それに対して自分を哀れんだりましてや相手を恨めしく思うことはない。自信があるからかな。

割と数年前までお金を使うことが苦痛だった。というか不安でたまらなかった。僅少の額の買い物ですらなんだか悪いことをしている気がして、つらかったなぁと思い出した。188円のちょっと高いたべっ子どうぶつを買ったときに急に思い出した。今はお金を使うことはむしろ楽しいので、余裕をつくることがいかに大切かわかる。それでもブランド物とかがほしいと思う感覚はないけどな。

 

半年ぶりに会った人。話しがわかる人ではあるから、何を言っても理解してくれるし面白がってくれるので助かる。自分が得たかった情報もプラスアルファまで教えてくれて助かった。知識を惜しみなく共有してくれるというのは、かなり幸せなことだと思っている。大切なのは、自分ですべての知識を集めることではなく、教えてもらえるように生きることかもしれないなと感じる。あとは、自分が当たり前だと思っていることが相手にとって有益だったり、その反対だったりするのも楽しい。こういうところに発見が潜んでいるなぁと改めて思い出した。異なる分野を取り扱っているもの同士、それぞれの発表をしたのちに相違点を見つけて行く作業は怠らないようにしたい。環境で簡単に変えられてしまうのだから、自分で気づけなくなる前に気を引き締めなければいけないという着地点があった。ブレも怪我もなくてよかった。

 

歌舞伎町タワー。建てているところはずっと見ていたが完成してからまだ見ていなかったので行ってみた。想像以上に商業フロアが少なく、楽しめる要素というのはほぼない、案外退屈な建物だった。全体に共通して言えるのは、外国人のイメージする「JAPAN」「SHINJUKU」という装飾。ベイマックスの世界「東京とサンフランシスコを掛け合わせた街、サンフランソウキョウ」くらい嘘だった。ゲームセンターエリアはわざわざ室内を暗くしてネオン風の照明が天井からたくさんさげられている。飲食フロアに関しては、ネオンと金魚の形をした提灯が天井に付いていた。それが良いとか悪いとか正直どうでもいい。ただ、デザイナーや企画者は手を抜いているなぁと思ってしまう。

ちょうど4年前の今頃、Aマッソ加納さんが「最近は全部“平成最後の〇〇”と言って、コピー界の喪中だ」と話していたのが未だに忘れられない。

何勝手に休んでんだ、働け。とまでは言わないが、もっとできたのではないかなぁと思ってしまうのは私の意地悪だろうか。歌舞伎町タワーはエスカレーターを登った玄関口にchimpomのゴミを使ったオブジェを置いている。トー横だし、新宿だし、ゴミと現代アートを合わせれば新しいっしょ、となったらchimpomっしょ、日本文化っしょ、外国人喜ぶっしょ、カッケェっしょ、ということなんですかね。これから一生服装を間違えて体温調整手こずってほしい。

 

一度でいいから見てみたい新大久保駅前の花屋で仏花を買う人。あそこで買って、墓はどこにあるんだ。そういえばあの辺にお寺があった気もする。死んで新大久保の墓に入るくらいなら燃えるゴミに出された方がいいなぁ。

悪さはヤクザと呼ぶことにしている。コアラのマーチを食べながら髪を乾かした。ヤクザにも程がある。怖がらせてしまったら申し訳ない。私はそういう生き物。怖い怖い。声に出して「ヤクザだなぁー」と言った。箱からコアラのマーチを取り出して髪を乾かすなんて。しかも自分の机で。ヤクザ。

 

甘えさせてもらえる人に甘えさせてもらった。それはそれは糖質過多。自分はなんて甘々なのだろうとか思う。本当にありがとう...だけどありがとうはいっぱい言ってはいけないらしいし。我慢しようと思っても近所にライフがある限りお菓子を買って帰ってしまう。

20230423 記録

クレジットカードの多重申込のように短期間にブログを複数開設したら何かのブラックリストに入れられてしまうのではないだろうかと恐れている。一生mixiが使えなくなったら嫌だな。今のところは支障ないけど。

 

あの頃性欲だと思って恐れていたあれは、きっと破滅願望と破壊衝動が渦巻いて生まれた汚い塊。正解なのかはわからないし、果たして今抱えている欲や気持ちが何なのだろうと考えるとやはり結論は出ない。

短い人生の中に約1年、明確に真っ黒なような空白のような時期がある。何もしていなかったわけではないが、私がいないのに私が生活をしていた。そのときの性に対する執着は自分でも怖いほどで、今とは違うので何かが取り憑いていた。はたまたそれが本来の姿なのか。

自分の意志とは関係なく湧き起こるものを破壊衝動とする。これに関しては定期的に私に訪れてきてどうしようもない欲をかきたてる。侵入思考と言ってもいい。

今でもたまに、電車が走ってくると線路に降りてしまおうかとか、車道に飛び出してみようかとか、胸を風呂場で切り落としてみようかとか考える。考えるというより勝手に受信しているような。もしこの衝動の制御が利かなくなって、他人を傷つけてしまったり何かの命を奪ってしまったりしたらとそこそこ深刻に悩んでいた時期もあるのだが、いつの間にやらその悩みはなくなった。安寧に過ごせるようになったと同時に、自分はたぶん大丈夫だという自信がついたからだと思う。大丈夫じゃなくならないといいな。

破滅願望の方はかなりの厄介者。よくよく考えると自分に破滅願望などはじめからない。あるとすれば破滅願望願望だ。自分が不利益を被ることなんてないに越したことはないが、それによって結果利益を得られるのを期待してしまうのと、単純に自分に不憫な思いをさせるのがおもしろいのだと思っているのだ。

精神の守備のために、大抵のことを「面白い」に振り分ける癖がついていて、あとは「エロい」の箱に入れておいたりすると無敵になれる。ただこれが行き過ぎてしまったせいで、自らで生み出した辛さに自らが苦しんでいることもおもしろいに仕分けするようになった。結果的におもしろいから私はそこまで悪いとも思っていないが、側から見たら自虐だし異常事態なので、今後排除できるなら排除していきたい。

 

エロいのほうは本当に便利だ。不快を快感に変化させることができるのだから。あらゆる回路を興奮に一本化することで、かなり生きやすくなった。反面、本当の自分がエロいと思うものが何なのかはもはやわからない。なんだかんだ今も本当の自分なのか、本当の自分がいてほしいと願ってしまう私の夢想なのか。

 

今日だって脱ぐより脱(ダツ)の方がエロいなと、髪を乾かしながら思った。「脱」という漢字自体がエロいなぁと思って、最初は「ぬぐ」という状態が連想させるからかと予想したがぬぐことは何もエロくない。それよりも「脱獄」「脱出」「脱皮」「脱臼」など単語にエロを感じる。これは「脱」のお陰かと思う。悦に似ているからかな。にくづきにこのつくりがエロさを引き出している。素晴らしいビジュアルの上に「ぬけだす」という意味を持っているものだから納得するしかない。目で見ても頭で考えてもエロい。エロ漢字認定。

 

こんなことを日々ずっとしている。思い立っては考え、勝手に結論を出して満足して、を繰り返している。ちゃんと変態だと思う。そんなにエロくないこともエロいかもと思って考えて生活に彩りを与えているのだから、歌っていないどぶろっくみたいなことなのかもしれない。あそこまでは滾る格好よさがなくて悔しい。

 

安易に使われている用途ではなく、本当の意味での性癖を考えると宇宙が見える。広がり続けているという意味なのか、何もないという意味なのか、すべてがあるという意味なのか。意味はわからなくていいし、自分でもそこまでは知りたくない。

結局帰ってくる場所は同じようだ。私が心の底から好きだと思うものは本来の私が選んでいるのか、調査してくれる人がいないから明確な答えは導き出せない。けれども自分の性にまつわるすべてを考えているときに限って、自分のことを知れているような気もする。



趣味は人間観察と言うやつは全員趣味サッカー観戦にしろ。人間観察ってなんだ。キモすぎる。観察せずに生きられるわけがないのに。人の顔色をうかがうのも立派な人間観察。人間観察が趣味ですという前に自身の観察に力を入れたほうがよいのではないでしょうか。人の顔色ばかり窺って...みたいな表現もよくわからない、別にいいだろ。顔色なんか窺うに越したことない。顔色を窺わない奴はみんな頭おかしい。こめかみに銃口を向けられても趣味人間観察とは言わない、神にも仏にも別所哲也にも誓える。



今日の架電リストにあった衝撃メモ。

先日「名前名乗り後切りますと切電」という長々と無駄に丁寧な書き方をする人が残した記録

対応者:男性6歳くらい

決裁者:不明

 備考:聞けず 一人と仰せ

誰のための敬語なのだろう。気持ち悪。



近所にある外からガラス張りで店内が望めるバルの手前の席に髪を赤に染めている子供がいた。小5くらいの男の子?見てられない。見たこっちが悪いけれど。子供の派手な髪色って全員似合っていないと思う。化粧やファッションなど手を尽くしてようやく馴染んでくるものだからな、あれは。自然体の子供が明らかに人の手を加えた髪色にするのはダサい。シンプルにダサいからやめるべき。法律で規制すべき。美容師も断るべき。なんでこんなにもこの件には不満をぶつけられるんだよ。

20230422 記録

手に持っていた携帯を服のクローゼットに入れてしまう、イヤホンを靴下の箪笥に入れてしまう、のようなことを日常的に無意識でしてしまうので基本的にずっと探し物をしている。習性と病気のちょうど間ということてすでに受理されています。探す間にご飯をたべたり仕事をしたりしているだけで、探すために生まれてきたのだと思う。隠す才能はあるけれど探す才能はなさそう。今日はマイナンバーカードを探していたら化粧水とパックの間にありました。習性と病気のちょうど間。

 

才能とかすぐ言う人は目薬の容器に珈琲をつめて一日4回点眼してほしい。毎度毎度濁った涙が流れ、ほんのり香ばしい香りをさせてほしい。「天才」はもっと言葉として好きではない。正確に言うと、ただ優れている人を天才という人が苦手だ。本当の天才に天才というのは何の問題もない。天才と呼ばれて嬉しくない人もいるであろうから気易く使うべき言葉ではないとは思うが。

最近元同級生とLINEをしたら、「あの子は天才だから受験もうまくいった」「みんな天才だから」みたいな言い方をしていて気持ち悪かった。他人を天才に押し寄せることで自分の何かを保っているのか、はたまた分別なく何にでも天才と言っているのか。そういう言葉を使う子だった記憶はないので、やはり人と会わなくなるというのは淋しさがつきものだと感じる。でも彼女は彼女で新しいコミュニティに属して、私のような面倒疑問怪物とは関わらなくなることだろうし。これを淋しさと感じるのは少し違うと思う、あくまでも現実で、事実。みんなが幸せでいられますように。

 

読んでいた本に、「子供の頃の私には永遠に感じられた」というような表現があった。幼少期ってどうしてあんなにも日々がスローなのだろう。今の私も大きく振り分ければ子供なのだけれども。例えば2,3年前と今でさえも時の過ぎ去り方に大きな違いがあると思う。遅すぎてつらかった。早く来月に、3ヶ月後に、半年後に、1年後に、とずっと思っていた。時計を見て、しばらくなにかをして、また時計を見て、全然進んでいない。これの繰り返し繰り返し繰り返し。ようやくあの永遠からは逃れられた気がしているが、それでもまだループの中にいるような気もするし、ぼうっとしてればすぐ死ねそうだとも思う。そんなこともないか。1520ほど年が離れた友人をみて、遠い存在だと思うことはない。けれど自分と相手の間の道筋を考えはじめると果てしなく感じるし想像しただけで疲れてしまう。疲れている場合ではないのに。

好きだった人(過去形である必要はない)と自分は明確に時の流れが違うのだと気付いたときから、心が軽くなり気分は沈んだ。抗うことのできない、なすすべのない、ただの事実。こちらが走れば向こうは自転車に乗る。こちらが自転車に乗れば向こうは車に乗る。こちらが電車に乗れば向こうは新幹線に。自分がどう気を紛らわしたところでこの感覚の差がなくなったり、縮まることがないのだとよくわかっていた。これを楽しむほどの余裕はなかった。何せ世界がスローなのだから。

今はようやく、障害にならないほどの差まで縮まった気がする。

 

 

好きなバンドのワンマンに行った。音楽のライブは月1くらいでしか行かないので、普段聴いている数から考えると当然絞られる。本当は誰かとライブに行きたいのだが、ベストな答えが導き出せないのでいつまで経っても一人。まぁ何も気にせず盛り上がれるのはよい。私の前はハタチくらいの男女二人組だった。距離感と聞こえてくる話の限り交際しているわけではなさそう。ただ男は女に好意を抱いていることは手に取るようにわかった。まぁ目の前だったし手に取っていたようなものだけれども。男の方がかなり辿々しくて、苛つきそうになったが腹を立てるのはやめた。他人が他人にデレデレしているのはかなり見ていられないということだけわかった。あとライブ始まってからあんまり盛り上がっていなかったんだけどなんなんだ。整番から考えて先行でチケット取っているはずなのに。互いが互いの自意識で押し合っている雰囲気は漂っていた。あまりよくない。でも手探りの関係性なら致し方ない。

 

好きな音楽の幅はそこそこ広いほうだと思う。もちろん好みじゃないものもあるけれど比較的なんでも、いいな、と思える。ただ、ライブで観に行きたくなるのは少し違う。

音が少ないのに迫力がある演奏を見るのが好きだ。目の前で生成されているのがよくわかるし、一つ一つの音が自分の元に届いているような感覚があって理解ができる。音楽なんて理解する必要はないと思うのだが、理解できるくらい少ない音数で魅力的な演奏を聴かされるとより凄みを感じる。アコギ弾き語りとかだと「理解できすぎる」のでそこまで興味がわかない。自分でもある程度はできるからかもしれない。

自分が1人だからなのもあってソロアーティストは特に憧れる。自分が1人だから2人組にも憧れてしまう。バンドはスリーピースが魅力的だと思う。

 

少し前に大所帯のバンド(オーケストラに近い)のライブに行ったときに思ったことなのだが、音数が多いと音楽が空間に感じられてしまう。最小単位の時の一つ一つが自分の元に届いている感覚がなくなって、全てが調和された空気/空間になっていて、充満しているのを自分が吸って体内に入れているような。それが良いのか悪いのかはよくわからない。眠かったのはそれと少しは関係しているだろうか。そんなに眠い日じゃなかったのに異常に眠かった。大所帯だったから気づかなかっただけで、眠らせにくるパート担当の人がいたのかもしれないし。やはりよくわからない。

 

バイト、ブログ、バイト、ブログの生活になっていて奇妙だと自覚はある。はてなブログ以外にもブログを書くことになっている。フリーターブロガーにはなりたくないのに。プラスに捉えるとそれくらいの大きな出来事がない日常でも毎日原稿用紙何枚分かは書くことができるということか。いつまで続けられるかはわからないけど続ける。毎日じゃなくて数日に一回にすれば気楽に続けられるんだろうけれどそういうのはできないんだよな。沢山やるか0かの2択しか基本的にない。長所であり短所であり、でもそこが好きなのかもな。二進法みたいなひと。

20230421 記録

寝たり起きたりですわ。これは本当に。本当のやつで。

でも寝ようと思って寝る日は年に何回もない。毎日死睡眠。死睡眠とは死に寝ること。一番近いのはスマートフォンの電池残量がなくなって、画面が真っ暗になり充電ケーブルを挿せ、という図が出てくるとき。ああいった具合に、突然真っ暗になって寝ている。基本いつ寝たのかは覚えていないし、布団以外で電池切れになることも多々あるので、朝目覚めて変な場所にいるときは前日の記憶を呼び起こすところからはじまる。酔っているとかではなく。ノンアルなのに。そんなことあってたまるかと思うし、仮にお酒が入ったらどうなるのだろうかと怖さを感じる。一度死んでしまうとしつこいアラーム以外で起きられない。逆に死んでしまってもしつこいアラームで起きられる。寝ている間に雷が落ちても地震があっても起きないので、大きな災害があったらきっと寝ながら死ぬ。それはそれで。

日常生活を送るときと全く同じ光量でも平気で寝る。布団の両脇と顔から15センチの位置に蛍光灯があっても多分寝られる。寝るときに真っ暗派と少し灯りをつける派がいると聞くが、私は電気を消す前に寝ている日もあるのでそう考えると煌煌派?派とかではないか。

死んで起きての繰り返しで、いかんせん記憶がないのでこれまで睡眠というものについて考えたことがなかった。いっぱい寝ても全然寝られなくてもパフォーマンスは同じくらいだけ良くないし、同じくらいだけ眠いので、日々気ままに自由な死を遂げている。

定期的に朝目覚めると前日の晩より身体が疲れていると感じるときが来る。ここ数週間はそれに加え首や肩の痛みや手のしびれもあったため、もしかして寝具がだめなのかもと気づき始めた。死睡眠の人間としては寝具について考えたことなど当然なく、そもそも布団や枕を使わない日もあるため気にしたこともなかった。ただ、どうやら今使っている枕が合っていないということはわかった。もう2年くらいはその枕だったはずなのに。ようやく気付いた。2年くらいとは書いたものの、正直何年使っているかも思い出せない。

 

新しい枕を買った。ストレートネック用で、中央と側部とで材質が違う。きちんと布団に入って、その枕の上で寝た翌朝。気が狂うほどに首が痛い。頭も痛い。肩から背中までばきばき。初日ではあるものの、もうこの枕は使わないことが決定。そのさらに翌日はソファで変な姿勢で寝てしまっていたようだったがすっきりと目覚めた。呪いの布団なのかもしれないし、私のような生き物は家の外のコンクリの床で寝ていればいいのだと思う。ここからいい枕を作ったりするほど睡眠に情熱はないのでこのことはもう考えないことにする。人生の3分の1は寝ているのだから睡眠を変えると人生が変わるといっている人へ。3分の2のほうで勝負させてください。

 

 

電話をかけるアルバイトをしている。はじめてちょうど1ヶ月くらい。今は地方の一般家庭にしこたま電話をしている。さまざまな家庭やくらしの形があることが電話越しにわかるのでなかなか面白い。主人の仕事の帰りは朝方だ、という人もあれば18時にもう主人は寝ちゃいました、という人もいる。19時過ぎに架電し、断りを受けて切ろうとすると優しいおばあさんが「おやすみなさい」とか言ってくるものだから、本当にそれぞれだよなぁと思う。夕方とか夜とかの受け取り方も全然違うし。世間の広さとか、当たり前だと思っていることのズレとか、田舎の暮らしとか。普段の仕事ではあまり知ることができないことを電話越しに知る場面が多い。

 

架電リストから只管に電話するのだが、他のバイトの人が以前一度入電した家庭にまたかけ直すこともある。その際に以前の担当者が残したメモを見るのだが、担当者によって書き方に違いがありこれまた面白い。

私だったらスタンダードに「60代女性 主人帰宅遅い 土日なら在宅」のように記す。これくらいあれば十分らしい。

 

最近だと「名前名乗りで切りますと切電」というメモがあって面白かった。さすがに無駄がすぎる。この担当者は余計なまでにメモを残しておく人っぽくて、いつもメモが長い。「名乗り後即切電」で伝わるし十分。名前以外を名乗ることはないし切りますといって切電しないわけがない。音こそ出さなかったが笑った。なんか面白い。

 

反対に仕事が適当な人もいて、メモ書きをふと見たら「がき」とだけ書いてあったのも笑ってしまった。これはギリ音が出るくらいで笑った。おそらく家族や管理者が不在で、お子様が電話対応してくれたという場面なのだろうが「がき」はないだろう。「子供」ならわかるけれど。子供が電話に出てくれるとき癒やされるんだよな。滅多にないけれど。かわいいし、敬語で懸命に説明をしてくれるのがほっこりする。夜遅くなのに子供しか出ないと、家庭を想像してしまって少し胸が痛む。本当は親がいるけれど忙しくて出られない、とかもあるだろうけれど。勝手な想像でしかない。

 

電話という顔の見えないコミュニケーションは興味深い。自分の声を聞いて向こうは何かの姿を想像するわけで、こちらも声から相手の姿を想像する。場合によっては声だけで自分を信用して頼ってもらえることもある。顔もわからない私にだ。不思議。

一方で、会ったこともない人の電話五指の声にぶち切れる人もいる。ぶち切れる人は基本何を言っているのかわからない。この前何を言っているのかわからない人がいたので話を続けたら「日本語勉強してからかけてきて」と言われた。日本語で人よりも多めに遊んできているので、勉強しなきゃかあとおもった。

怒られても特に何もダメージを受けないので向いているらしい。丁寧な話し方とか聞き取りやすい説明とか言葉で聞くだけでわかる表現とか、仕事に役立つ力も伸びている気がする。まあしばらくは続けようと思う。電話しながらネット見るとかもかなり余裕になってきたし。記録すぎるなこの記事は。

20230420 記録

暑い。昨日も今日もヒートテックを着ていない。私は365日のうち体感だと320日くらいはヒートテックを着ている。その私が暑いというのだからこれはもう真夏日ということにします。と冗談で書いたら本当に今日福島市で30℃を記録し真夏日になってしまったそう。恨むのは温暖化か国か政治家か恨む自分かカピバラタピオカか。自撮り千鳥って炙りカルビみたいでギリ早口言葉になるなと思ったのが今日の収穫でしょうか。

気温の上昇に伴って、自意識の機種変を行う。冬はモノトーン/モードを基本としているけれど、夏は色味が強くて派手で目立つ服装をすることが多い。だから、気持ちがついていくように少しずつ目立つ格好で外に出ることをならしていく。今日はインナーとボトムスをエグい色柄にして上着と靴は黒にするという、お手本のような慣らしコーディネートで過ごした。プールに苦手な子がまず最初に水に顔をつける練習をするやつ。それとこれとは別なんだよ馬鹿なのかよと思っていた。水に顔をつけるのと泳げないのは全然違う。溺れ死んでやろうかと思いながらプールの授業を嫌々受けていたことを思い出す。普通に迷惑だから溺れ死ななくてよかった。

 

先週アースデイ東京という地球環境を考えるためのイベントに行った。半宗教みたいな団体が複数あってただ怖い思いをして帰ってきた。雨で寒かったし。リーガルリリーをうっすらと聴けたのは嬉しかった。仕事中に「リッケンバッカー」が聴ける贅沢さとすぐそこなのにステージを見られない勿体なさでめちゃくちゃ仕事を頑張れた。キモメカニズム。

「気」を送ってもらえるブースや宇宙の根源パワーを注入してくれるブースがあった。私も幾らか注いでもらえばよかっただろうか。人から注がれた宇宙パワーが自分の身体では受け付けない型のパワーだったら悲しい。輸血とかドナーとかの単語が思い浮かんだが、宇宙パワーは人間くらいなら誰にでも適用するのかもしれない。それもこれも注入されていない側の人間の戯れ言に過ぎない。された側になる勇気もないくせに。 

 

街中のあちこちが選挙事務所になっている。あれって期間限定で場所を借りるということよね。少し前まで営業していた本格的な釜もあるおしゃれなピザ屋さんが閉店して、昨日通りがかったら選挙事務所になっていた。何も悲しいことはないのに少し悲しいのはなぜだろう。何かの跡地に争いが入ってくるからだろうか。哀愁がある。看板とかポスターの原色が景観をぶち壊していて儚さのかけらも感じられないところが不思議と哀愁を帯びさせている。

調べてみたら、選挙事務所用の場所を借りるのは難しいらしい。テナント募集や貸店舗の張り紙が張られている場所でも、選挙事務所の用途はお断りということがあるらしい。それはつまり、街中のあらゆる選挙事務所はその難関を通り抜けた上で存在しているというわけだ。急に尊(たっと)い場所な気がしてくる。こういうことを積み上げることで世の中のすべてを価値のあるものと認識して大切に生きられるのではないかと常日頃思う。まぁ、どう抗っても下に見てしまうものだってありますが。

 

尊(とうと)いが濫用されたことで、本当に価値が高かったり貴重だったり大切にすべきものに「とうとい」と言いづらくなってしまった。「尊い」自体が尊くないという惨事。幸い「たっとい」は生き残っているのでこれを利用したいのだが、漢字は同じなのであまり意味がない。ひらがなで書くなら書かない方が良い気すらする。

 

いつまでたっても表現にぷりぷりしていて、他に怒りがない幸せで脳天気な人であることが浮き彫りになる。表現警備員の最近気になる表現は「オナニー」です。友人がツイートに用いていたので悪いように言うのも心が痛むが、この表現に対する不満は片腕を切り落としたときの血くらい出てくる。

ここで指し示すオナニーは「自身の快楽を優先した行動」を表して使われているオナニーです。「オナニーみたいな創作活動」「オナニーみてぇな歌歌いやがって」の意味です。

 

まず第一に「過激な単語使ったったで」感が否めない。わざわざ、という感じが出てしまっていることが多くて違和感を覚える。単語のパワーとしてはセックスよりも強いと思うので、確かにパンチのある表現になっているようには見える。けれど実際優れている表現かと言えば微妙だと思う。カラフルなカップケーキ。クリームがカラフルで、外見がかわいい。ホワイトチョコレートで作られた絵柄や文字のプレートが刺さっているものもある。写真に撮るとそのかわいさは倍増。さて、食ったらどうであろう。おいしくない。クリームも色に反して味がないしただの甘い脂肪分という印象。カップケーキ部はぼそぼそしていて水分を奪われるし、甘いけれどそこまでのおいしさは感じない。これだ。表現のオナニーはカラフルなカップケーキ。

 

作り手も受け取り手も双方に快楽を得られる「セックスみたいな創作」もあっていいし、むしろそれがベターなはずなのに、その表現を聞かないのは未婚率とかと関係あるでしょうか。それとも、創作物は基本すべてセックスという前提の上で例外を「オナニーみたいな」としているのでしょうか。創作物(セックス)が当たり前なら私の勉強不足。今後の反省にもつながるので答えが知りたい。

 

ここまで文句を言ったのなら、きちんと代替案を出さなければならない。否定しかできない害悪爺の人たちとは違う。あれになったら何もかも終わりだ。

自身の快楽を優先した行動という条件から考えるのであれば、「地下アイドルの一生推して」「セフレ探しのTinder」「絶対儲かると聞いて乗っかった投資話」とかであろうか。

 

「地下アイドルの一生推してみたいな歌歌うな」「セフレ探しのTinderみたいな創作物」「絶対儲かると聞いて乗っかった投資話みたいな関係」

 

綻びは生じてきているが、「オナニーみたいな」よりはマシだと思う。一度「オナニーみたいな」を使い始めてしまうとそればかりになってしまう。恐ろしや。常習性がある表現。危ない。辞められる内にみんな辞めてほしい。それかちゃんとそれ以外のときにセックスみたいな、と言ってほしい。そうでないと混乱してしまう。

 

粗悪品の情熱ふつおたみたいだなと思ったら急に冷めてきた。思えばこのブログも誰かのためではなく自分のために書いているもの。言うならば...自慰ログ?(史上最低)

20230419 記録

下唇さんは頭良いよねと言われた。

そう思ってもらえたなら嬉しい。頭が良いというのがどういうことかはわからないけれど少なくとも貶されてはないと思う。

その人の前で高速で計算をしたことも、難読漢字を読み上げたことも、小池百合子もびっくりなカタカナ羅列で話したこともない。それなのに頭良いよねと思ってくれたのは何だろう。わからないということはそこまで頭が良くない。

少し疲れが抜けないなあと思ってふとカレンダーを見たら3/25からバイトも仕事も何もない日がなかった。どこが頭良いんだよ。アホすぎる。予定の立て方をいまだに心得ていないせいでこうなっている。「いないせいでこう」は「いとうせいこう」感あります。とはいえ少ない時は14時間弱しか働いていないからまぁ実質0キロカロリーというか。そこまで疲れることもしていないし、おっきい四捨五入をしたらニートみたいなもんでしょうし。おっきい四捨五入を。

 

ただ今日みたいに早朝バイト仕事バイトみたいな日がバグのように発生してしまった暁には、半分寝ながらこれを書く化け物も同時発生。

そこそこ寝ていても電車と暖かい場所は問答無用で眠いので、暖かい電車は戦争。フリック入力の里で生まれた子なので目を瞑りながらでも文字は打てる。

 

りんかい線以上に殺意が湧く電車はない。りんかい線は段違い。それもこれもあれもどれも全てお台場が苦手だからなのだけれど。しねしね電車ことりんかい線

 

スーパーで働いているときの私が最もクリエイティビティに富んでいる。頭をほぼ使わない作業と思考に無害の景色や音や空気。気分の上がるアイディアも気持ちいいメロディーも楽しい計画も思い浮かぶ。LIFE is beautiful...

人がいなければメモをすることもあるけれど、基本考えは流れて土に還っていく。全然覚えていられない。記録ツールの一つが一番Twitterになってしまっている。書き投稿するハードルをどんどん下げているため、記録する習慣にはなってきたよう。ただそれと同時に見返せる記録にしたいため、「もう思っていないこと」は基本全部削除しているし、見返しても私がわからないものは消す。逆も然り。

 

思いつきで書いた言葉は吟味されていないので面白味に欠けていることがほとんどだし面白くないことは先に残したくないし。

速さの最上級はTwitter。逆に少々の時間を費やしてお気に入りの言葉を並べていくために利用しているのがnotechatGPTが連続するワードの確率を計算し尽くしているのであれば、確実に私のnoteは不良品だ。お気に入りの羅列は計算においてさぞ邪魔なことでしょう。友達に言われた「下唇ちゃんは外れ値だから」の言葉はいつまでも流れていかない。

 

見聞きしたものを自分の手前の引き出しから賄って形成した養生みたいな文章を書きたいとは常日頃から思っていた。それを記録保存しておきたいし。日記は続けられない人間なので毎日とは言わないが、メモを貼り付ける程度の記録はしていきたい。

 

この前友達と遊んだ時に買ったSHIROのボディフレグランスがとても良い香り。友達にお薦めしてもらった香りをまとっていることがまず良い。こういうささやかなことでもかなり頑張れる。猫カフェも行ったし。パンダのぬいぐるみも買った。

ちょっと可愛すぎるか。可愛いよな。申し訳ない思っている。可愛くて申し訳ない。社会人のhoney Works

 

はてなブログならつまんないこと書いてもいいでしょ。私という別にいてもいなくても変わらない存在がつまらないことを書いている。誰にも迷惑はかけていない。

 

本当は厭悪や呪詛や小言も書きたいけれど、変に臆病さが出てそんなことできないんだろうな。結局ちょっとつまらないらいでふざけてヘラヘラしていることでしょう。

 

 

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もう流石にないだろと思っていた「最近何流行っているんですか」の仕事でいやでした。知らないです。向こうが用意してた資料に載っていた最新トレンドの4項目全部知りませんでした。知らないです。流行疎いです。流行に敏感なおばさんくらいです。周りギャルみたいな奴ばっかだったし。何故呼ばれるんだ。ブラックリストにでも入れておいてくれ。流行疎いラベル貼られてもいいからもうあの手の仕事に行きたくない。真面目にAIと人間の未来だけ話して終わった。ギャルはAIわからないから仕方ないよな。ほら、りんかい線はしね電車。でも会いたかった人に偶然会えたのでまぁ今日のところはよしとします。

 

Z世代って言葉がやはり好きじゃないのだと思う。新しい生き方みたいなニュアンスも入っている気がする。知らないよ。従来通り働いて好きなことしてほどほどにSNS見てるよ。今時の若い子はLINE使わないとか言わないで。LINEは使っているしインスタのDMでやり取りするのは得意じゃない。私が悪いから謝るけど。音楽も服も芸術もお笑いも「こういうのが好き」とかじゃないからなぁ、好きなものは好きってだけだし。この傾向が好きとかは一口に言えることではない。

 

境界を曖昧にする教会を作りませんか。〇〇世代とか、〇〇派閥とか、〇〇界隈とかいい加減やめればいい思う。ぼんやりとした世界を生きたいな。