20230422 記録

手に持っていた携帯を服のクローゼットに入れてしまう、イヤホンを靴下の箪笥に入れてしまう、のようなことを日常的に無意識でしてしまうので基本的にずっと探し物をしている。習性と病気のちょうど間ということてすでに受理されています。探す間にご飯をたべたり仕事をしたりしているだけで、探すために生まれてきたのだと思う。隠す才能はあるけれど探す才能はなさそう。今日はマイナンバーカードを探していたら化粧水とパックの間にありました。習性と病気のちょうど間。

 

才能とかすぐ言う人は目薬の容器に珈琲をつめて一日4回点眼してほしい。毎度毎度濁った涙が流れ、ほんのり香ばしい香りをさせてほしい。「天才」はもっと言葉として好きではない。正確に言うと、ただ優れている人を天才という人が苦手だ。本当の天才に天才というのは何の問題もない。天才と呼ばれて嬉しくない人もいるであろうから気易く使うべき言葉ではないとは思うが。

最近元同級生とLINEをしたら、「あの子は天才だから受験もうまくいった」「みんな天才だから」みたいな言い方をしていて気持ち悪かった。他人を天才に押し寄せることで自分の何かを保っているのか、はたまた分別なく何にでも天才と言っているのか。そういう言葉を使う子だった記憶はないので、やはり人と会わなくなるというのは淋しさがつきものだと感じる。でも彼女は彼女で新しいコミュニティに属して、私のような面倒疑問怪物とは関わらなくなることだろうし。これを淋しさと感じるのは少し違うと思う、あくまでも現実で、事実。みんなが幸せでいられますように。

 

読んでいた本に、「子供の頃の私には永遠に感じられた」というような表現があった。幼少期ってどうしてあんなにも日々がスローなのだろう。今の私も大きく振り分ければ子供なのだけれども。例えば2,3年前と今でさえも時の過ぎ去り方に大きな違いがあると思う。遅すぎてつらかった。早く来月に、3ヶ月後に、半年後に、1年後に、とずっと思っていた。時計を見て、しばらくなにかをして、また時計を見て、全然進んでいない。これの繰り返し繰り返し繰り返し。ようやくあの永遠からは逃れられた気がしているが、それでもまだループの中にいるような気もするし、ぼうっとしてればすぐ死ねそうだとも思う。そんなこともないか。1520ほど年が離れた友人をみて、遠い存在だと思うことはない。けれど自分と相手の間の道筋を考えはじめると果てしなく感じるし想像しただけで疲れてしまう。疲れている場合ではないのに。

好きだった人(過去形である必要はない)と自分は明確に時の流れが違うのだと気付いたときから、心が軽くなり気分は沈んだ。抗うことのできない、なすすべのない、ただの事実。こちらが走れば向こうは自転車に乗る。こちらが自転車に乗れば向こうは車に乗る。こちらが電車に乗れば向こうは新幹線に。自分がどう気を紛らわしたところでこの感覚の差がなくなったり、縮まることがないのだとよくわかっていた。これを楽しむほどの余裕はなかった。何せ世界がスローなのだから。

今はようやく、障害にならないほどの差まで縮まった気がする。

 

 

好きなバンドのワンマンに行った。音楽のライブは月1くらいでしか行かないので、普段聴いている数から考えると当然絞られる。本当は誰かとライブに行きたいのだが、ベストな答えが導き出せないのでいつまで経っても一人。まぁ何も気にせず盛り上がれるのはよい。私の前はハタチくらいの男女二人組だった。距離感と聞こえてくる話の限り交際しているわけではなさそう。ただ男は女に好意を抱いていることは手に取るようにわかった。まぁ目の前だったし手に取っていたようなものだけれども。男の方がかなり辿々しくて、苛つきそうになったが腹を立てるのはやめた。他人が他人にデレデレしているのはかなり見ていられないということだけわかった。あとライブ始まってからあんまり盛り上がっていなかったんだけどなんなんだ。整番から考えて先行でチケット取っているはずなのに。互いが互いの自意識で押し合っている雰囲気は漂っていた。あまりよくない。でも手探りの関係性なら致し方ない。

 

好きな音楽の幅はそこそこ広いほうだと思う。もちろん好みじゃないものもあるけれど比較的なんでも、いいな、と思える。ただ、ライブで観に行きたくなるのは少し違う。

音が少ないのに迫力がある演奏を見るのが好きだ。目の前で生成されているのがよくわかるし、一つ一つの音が自分の元に届いているような感覚があって理解ができる。音楽なんて理解する必要はないと思うのだが、理解できるくらい少ない音数で魅力的な演奏を聴かされるとより凄みを感じる。アコギ弾き語りとかだと「理解できすぎる」のでそこまで興味がわかない。自分でもある程度はできるからかもしれない。

自分が1人だからなのもあってソロアーティストは特に憧れる。自分が1人だから2人組にも憧れてしまう。バンドはスリーピースが魅力的だと思う。

 

少し前に大所帯のバンド(オーケストラに近い)のライブに行ったときに思ったことなのだが、音数が多いと音楽が空間に感じられてしまう。最小単位の時の一つ一つが自分の元に届いている感覚がなくなって、全てが調和された空気/空間になっていて、充満しているのを自分が吸って体内に入れているような。それが良いのか悪いのかはよくわからない。眠かったのはそれと少しは関係しているだろうか。そんなに眠い日じゃなかったのに異常に眠かった。大所帯だったから気づかなかっただけで、眠らせにくるパート担当の人がいたのかもしれないし。やはりよくわからない。

 

バイト、ブログ、バイト、ブログの生活になっていて奇妙だと自覚はある。はてなブログ以外にもブログを書くことになっている。フリーターブロガーにはなりたくないのに。プラスに捉えるとそれくらいの大きな出来事がない日常でも毎日原稿用紙何枚分かは書くことができるということか。いつまで続けられるかはわからないけど続ける。毎日じゃなくて数日に一回にすれば気楽に続けられるんだろうけれどそういうのはできないんだよな。沢山やるか0かの2択しか基本的にない。長所であり短所であり、でもそこが好きなのかもな。二進法みたいなひと。