20230421 記録

寝たり起きたりですわ。これは本当に。本当のやつで。

でも寝ようと思って寝る日は年に何回もない。毎日死睡眠。死睡眠とは死に寝ること。一番近いのはスマートフォンの電池残量がなくなって、画面が真っ暗になり充電ケーブルを挿せ、という図が出てくるとき。ああいった具合に、突然真っ暗になって寝ている。基本いつ寝たのかは覚えていないし、布団以外で電池切れになることも多々あるので、朝目覚めて変な場所にいるときは前日の記憶を呼び起こすところからはじまる。酔っているとかではなく。ノンアルなのに。そんなことあってたまるかと思うし、仮にお酒が入ったらどうなるのだろうかと怖さを感じる。一度死んでしまうとしつこいアラーム以外で起きられない。逆に死んでしまってもしつこいアラームで起きられる。寝ている間に雷が落ちても地震があっても起きないので、大きな災害があったらきっと寝ながら死ぬ。それはそれで。

日常生活を送るときと全く同じ光量でも平気で寝る。布団の両脇と顔から15センチの位置に蛍光灯があっても多分寝られる。寝るときに真っ暗派と少し灯りをつける派がいると聞くが、私は電気を消す前に寝ている日もあるのでそう考えると煌煌派?派とかではないか。

死んで起きての繰り返しで、いかんせん記憶がないのでこれまで睡眠というものについて考えたことがなかった。いっぱい寝ても全然寝られなくてもパフォーマンスは同じくらいだけ良くないし、同じくらいだけ眠いので、日々気ままに自由な死を遂げている。

定期的に朝目覚めると前日の晩より身体が疲れていると感じるときが来る。ここ数週間はそれに加え首や肩の痛みや手のしびれもあったため、もしかして寝具がだめなのかもと気づき始めた。死睡眠の人間としては寝具について考えたことなど当然なく、そもそも布団や枕を使わない日もあるため気にしたこともなかった。ただ、どうやら今使っている枕が合っていないということはわかった。もう2年くらいはその枕だったはずなのに。ようやく気付いた。2年くらいとは書いたものの、正直何年使っているかも思い出せない。

 

新しい枕を買った。ストレートネック用で、中央と側部とで材質が違う。きちんと布団に入って、その枕の上で寝た翌朝。気が狂うほどに首が痛い。頭も痛い。肩から背中までばきばき。初日ではあるものの、もうこの枕は使わないことが決定。そのさらに翌日はソファで変な姿勢で寝てしまっていたようだったがすっきりと目覚めた。呪いの布団なのかもしれないし、私のような生き物は家の外のコンクリの床で寝ていればいいのだと思う。ここからいい枕を作ったりするほど睡眠に情熱はないのでこのことはもう考えないことにする。人生の3分の1は寝ているのだから睡眠を変えると人生が変わるといっている人へ。3分の2のほうで勝負させてください。

 

 

電話をかけるアルバイトをしている。はじめてちょうど1ヶ月くらい。今は地方の一般家庭にしこたま電話をしている。さまざまな家庭やくらしの形があることが電話越しにわかるのでなかなか面白い。主人の仕事の帰りは朝方だ、という人もあれば18時にもう主人は寝ちゃいました、という人もいる。19時過ぎに架電し、断りを受けて切ろうとすると優しいおばあさんが「おやすみなさい」とか言ってくるものだから、本当にそれぞれだよなぁと思う。夕方とか夜とかの受け取り方も全然違うし。世間の広さとか、当たり前だと思っていることのズレとか、田舎の暮らしとか。普段の仕事ではあまり知ることができないことを電話越しに知る場面が多い。

 

架電リストから只管に電話するのだが、他のバイトの人が以前一度入電した家庭にまたかけ直すこともある。その際に以前の担当者が残したメモを見るのだが、担当者によって書き方に違いがありこれまた面白い。

私だったらスタンダードに「60代女性 主人帰宅遅い 土日なら在宅」のように記す。これくらいあれば十分らしい。

 

最近だと「名前名乗りで切りますと切電」というメモがあって面白かった。さすがに無駄がすぎる。この担当者は余計なまでにメモを残しておく人っぽくて、いつもメモが長い。「名乗り後即切電」で伝わるし十分。名前以外を名乗ることはないし切りますといって切電しないわけがない。音こそ出さなかったが笑った。なんか面白い。

 

反対に仕事が適当な人もいて、メモ書きをふと見たら「がき」とだけ書いてあったのも笑ってしまった。これはギリ音が出るくらいで笑った。おそらく家族や管理者が不在で、お子様が電話対応してくれたという場面なのだろうが「がき」はないだろう。「子供」ならわかるけれど。子供が電話に出てくれるとき癒やされるんだよな。滅多にないけれど。かわいいし、敬語で懸命に説明をしてくれるのがほっこりする。夜遅くなのに子供しか出ないと、家庭を想像してしまって少し胸が痛む。本当は親がいるけれど忙しくて出られない、とかもあるだろうけれど。勝手な想像でしかない。

 

電話という顔の見えないコミュニケーションは興味深い。自分の声を聞いて向こうは何かの姿を想像するわけで、こちらも声から相手の姿を想像する。場合によっては声だけで自分を信用して頼ってもらえることもある。顔もわからない私にだ。不思議。

一方で、会ったこともない人の電話五指の声にぶち切れる人もいる。ぶち切れる人は基本何を言っているのかわからない。この前何を言っているのかわからない人がいたので話を続けたら「日本語勉強してからかけてきて」と言われた。日本語で人よりも多めに遊んできているので、勉強しなきゃかあとおもった。

怒られても特に何もダメージを受けないので向いているらしい。丁寧な話し方とか聞き取りやすい説明とか言葉で聞くだけでわかる表現とか、仕事に役立つ力も伸びている気がする。まあしばらくは続けようと思う。電話しながらネット見るとかもかなり余裕になってきたし。記録すぎるなこの記事は。