白紙の増刊号

5月終了。数字が増えて、時間が経った。楽しい月だった気がする。ついこの間4月が終わったのに、とかそういう仕方のないことを言ってしまうと帰宅時に静かなパトカーが停まっているらしい。だから言えない。働いて、遊んで、出掛けて、見聞きして、いつも通りながら枠に対して詰められた量が多かったような。ちゃおの付録のぎっちり感。漫画の方は白紙だったのかもしれないけれど。

 

紫陽花があちこちから顔を出してきた。昨日noteを開いたら一年前の私も紫陽花を好きだと書いていたし、好きな理由も私と同じだった。どこで見ても等しく綺麗なのに、かなりどこにでもある。種類が多く色も鮮やかで、形も様々で、それなのに全て紫陽花として認識できる。特別な存在。民家に咲いていても申し訳なさはありながらバシバシ写真に撮ってしまう。東京のそこそこ治安の良い住宅街に育ったことの良いところは、花が咲いているのをあちこちで見られるところ。ありがたい。駅から家に帰るまでの間にいくつも紫陽花がある。花は心に豊かさを与えてくれると信じている。お花になりたいね。

 

5月末は何が重なったのかわからないが、月末に通信制限とカードの差し止めをダブルで食らってしまって面倒だった。先月より3ギガぐらい多かったらしく、繰り越しされないことを初めて知る。例えば東京大阪間でずっとPornhubを見ていたならわかるけれど、私はPornhubを開かないし大阪にも行っていない。原因は誰も知らない。

カードのほうはだいぶ前から限度額が低すぎて困っている。最初に適当に設定したのが間違いだった。買い物以外に交通費や医療費もカードで払うようになってしまったのでそこそこの頻度で限度額に達している。引き上げてほしいと電話をしたこともあるのだが、自動でカード会社が更新するらしくそのタイミングは明かしていないとのこと。何のためなんだ。サプライズだとしたら全然ワクワクしない。センスがない。大自然のネタとか見ておいてほしい。

 

昨日はすこぶる調子が悪かった。珍しくしんどくてぽろぽろ泣いていて思い返すと笑える。テレアポついてから1時間半くらいは架電しながら泣いていた。泣いている女性からの営業電話はエロいなぁと途中から思うようになったあたりから集中できた。気圧とホルモンバランスで数日調子が悪かったけれど、原因がわかっているから特に気にならない。電話をして2時間半を過ぎた頃からは悲しみが言葉に溶けて、それも乾いた。

テレアポをしていると本当に色々な人と話ができて面白い。昨日の18時48分にかけた家庭は60代くらいの女性が対応してくれた。19時過ぎにはご主人が帰るので、また電話してとのこと。在宅している確率が高くなるように少し時間を空けて、19時半過ぎにあらためてかける。つながると、先ほどの奥様の声がする。「ごめんね〜、帰ってご飯食べてビール飲んだら寝ちゃった!疲れてたみたい〜。また連絡ちょうだいね」と言ってきた。早すぎる。こちらが案内している回線よりあなたの方が早いことでしょう。45分前にかけた時には家にいなかった人が、帰宅してご飯食べてお酒を飲んで寝るまで終わっている経験がなかったので面白かった。あと奥様が優しくて嬉しい。

お客さんによっては繰り返し電話で話して契約にこぎつけることもある。現状の相談に乗ったり、相手の疑問点を解決できるように説明したり、できるだけ力になれるように話をしている。4月末に初めて喋ったおじいさん。一人暮らしの70代くらいの元気な人。インターネットにとにかく疎く、Wi-Fiが何かとかもよくわかっていなかった。今利用している会社の料金を確認するからまた連絡して、というから週に1.2回連絡していたのだが、その度に「まだわからない!」「何も進展してない!」「また適当に連絡ちょうだい」と言う。憎めない言い方なので繰り返し連絡していた。5月後半に連絡した時に改めて案内を手厚くしたら、契約してくれそうになったが、詳しい人に聞くとか言ってまた先に延ばされた。別にいいのだけれど。それから1週間後に改めて連絡、翌週も、数日空けても、全然出ない。今まで在宅していた時間帯を狙っているのに全然出ない。忙しいなり、こっちの電話が嫌になったりなら何も問題はないのだが、病気だったり死んだりしていたら嫌だなぁとぼんやり考える。名前も知らない遠くのおじいさんでも、1ヶ月も喋ると少し情が湧く。向こうは向こうで自分への喋り方が少しずつフランクになっていた。

不思議な仕事だと思う。姿形を知らないのに怒られたり信じてもらえたりする。カタチに疲弊している節があるので、そういう意味ではカタチを気にしないでいい大事な時間なのかもしれない。疲れるけど。あと行く前が気怠い。行けば割とあっという間。50人に1人くらい、電話の切り際に「ご苦労さま」と言ってくれる人がいてかなり救われる。自分も今後営業電話がかかってきたら絶対そう返したい。些細な言葉で人に幸せを齎したいよ。

 

数年前noteを毎日読んでいたのは、面白いと思っていた人が毎日投稿していたから。その人が毎日投稿しなくなったのが先なのか、自分が毎日見なくなったのが先だったのかよく覚えていない、何せ見なくなったことの記録は残っていない。あるときから自分の投稿用のアカウントを分けるようになり、閲覧用のアカウントはログアウトしっぱなしになった。Twitterで見かけた記事はもちろん読むが、フォローしている人がどんな発信をしているのかはもう数年確認できずにいる。

少し前に珍しくnoteアプリから通知がきた。5月31日までに投稿をすると2ヶ月連続記録が作れますと書かれていた。だからなんだ、と思ったが、そろそろはてなブログと原稿以外の丁寧な文章を書きたいと思っていたので気に留めていた。

滑り込みも滑り込みの31日。仕事の小さな山を超えた小一区切りのタイミングだったので書くことにした。ここ数日は気圧とホルモンバランスのせいなのかずっと本調子ではない。ぼんやりしていると眠くなるし気合いを入れないと頭が働かない。昨日も例外なく、noteを書こうにも面白いと思うものがぽこぽこ出る状況ではなかった。ただ、このかなりスカスカの頭で書くのは珍しくてむしろ今までよりも良かった気がする。少し前の記事を開くと、明らかにビチャビチャしている。どうにかじっと堪えようとしているのだろうが、既に溢れそうな器を持つ手が震えているものだから、みるみる零れてしまって気付けば辺り一面水浸し。綺麗に撒いたわけでもなく、零した跡、シミ、という感じ。それが自分の本来の姿なのだろうけれど。最新のものはどこかカラッとしていると思った。主観中の主観で怖いか、主観を綴ったものに対する主観。結局自分のことが好きなんですね、という結論にしか至らない。気持ちの悪い人。

最近は仕事のものでなければ自分の文を読むことができるようになった。書いた記憶が残っていないから、この人の気持ちわかるなぁ、共感できるなぁと感じる。でも途中からは、「まぁそうだよな」に変わってやはり読む気が失せる。自らの書いたものを読んで楽しめるようになったら本物だと思うのでもう少し頑張ってみる。

 

未だにどうやってギターを弾いたらいいのかよくわからない。あんなにピアノもエレクトーンもやっていたはずなのに、そもそもコードをよくわかっていない。偶然備わった音感とUフレットに教えてもらってできるようになった手の形を不快にならないように組み合わせる、が今発揮できる最大の力。もっとお洒落な崩し方とかができるようになりたいのだがやり方がわからない。わからないなぁと思っているのに慣れたのでわかろうともしていないし、わかりたいとも思えていない。わかればもっと楽しいのかしら、わからないけど今も楽しい。昼間に家にいる日はこれから積極的に触る方向でいこうとこの間決めた。触れ合いが大事。ちょこちょこ形に残して投稿していくことにしたから、溜まったら誰かに聴いてもらおう。

 

今月は流石に新しいことを始めたい。そのためには動かなくてはならなくて、そのためには。何かを壊すとかか。あと会おうと言ってる人と会う予定を立てる。立てなければならない。

昨日友人と通話している時に「お前は部屋が片付けられなくて、物を無くして、多動で、遅刻とかもして、普通にアレ」みたいなことを言われて、そうだったかもなぁと思い出した。スケジュールを詰めることによってそれを感じさせないようにしているのに。やることを増やしまくると目の前のことを一つ一つ終わらせざるを得ないので、アレな部分がだいぶ薄れていく実感がある。よくやってるよ私は。よくやってるはず。あと多動に関しては無理。刺激もなく家に座って過ごすくらいなら槍で突き殺された方が幾分もいい。

こんなに遊んでお笑いを見てヘラヘラ暮らしている高卒(通信)なのに、4月も5月も収入の合計は院卒よりちょっと多いかも!!くらいになっているので、このままふざけんな精神を貫いてとりあえず2023年は駆け抜けたい。別にいつだって死ねと思っている。でかいスポーツカーを乗り回し、噴水のある家に住む。